何もしないの豊かさ。
ただ雲は流れ、ただ鳥はさえずる。
ただ日は昇り、ただ風は吹く。
ただ、そうである。
ただ、それだけ。
ごちゃごちゃ考えなければ、あるいはごちゃごちゃの霧のその奥に、ただそれだけの世界が広がっています。
ごちゃごちゃの霧の目くらましをくらっているその外側では、相変わらずの世界が坦々と進行しています。
誰も何も言わない。
誰もわたしに話しかけない。
誰もわたしに興味も関心もない。
各々が各々のままに、各々。
わたしもわたしのままに、わたし。
楽園というのは、快感とはちょっと違う。
それは五感で捉えるものではない。
ただそうである。
それは感覚でしょうか、何でしょうか。
それは、そのままに、そのまま。
説明も解釈もなく、ただそのままに、そのまま。
今、現にそうですし、そうでない時などありません。
いつでもそれは、そうです。
説明も解釈もなければ、それはいつでも、現に、そうです。
問題がなければ、解決もない。
起点がなければ、終点もない。
初めがなければ、終わりもない。
なければ、ない。
ないだけが、ある。
人は人間としての機能を駆使し、人間らしく生きている。
人間として生きている限り、人間としてのあれこれを、引き受ける。
人間らしく、生きる。
人間らしく、泣いて笑ってケンカして。
悩んで迷って、答えを求める。
人間でいると、疲弊する。
人間を降りたい時も、少しはあるね。
何もしないの豊かさ。
何もないの全てさ。
そもそもは、何もない。
人間である前に、何もない。
何もないを受け入れるとき、迷いは終わる。
そもそも人である前に、何もないだった。
何もないにおいて、全ては解決する。
そこには何もないから。
問題もなければ解決もない。
「それでいい」とも言わない。
「それで悪い」とも言わない。
ただ「それ」。
「それ」だけ。
良いも悪いも言わない。
それは、それ。
以上。
それが世界の真実。
その真実を受け入れることができるかどうか。
「答えが欲しい」と言って、「答えは無い」という回答を得た。
それを納得できるかどうか。
それを受け入れることができるかどうか。
答えはすでにある。
明々白々、そこにある。
あとはそれを、受け入れることができるかどうか。
「受け入れられない」と言っても、それが答え。
どんなに拒否しても、それが答え。
それ以外の答えはない。
この状況。
しぶしぶ受け入れる。
それはできない。
それは結局、受け入れてないから。
心の底で拒否していたら、それは結局受け入れてないのと一緒だから。
人から与えられた答えは、納得がいかない。
だから、自分で答えを導き出すしかない。
人に聞くのではなく、自分で見つける。
納得するためには、それしかない。
この時初めて、目線が転じる。
この時初めて、肚をくくる。
誰かや何かに頼るのをやめ、自分の足で歩く覚悟ができる。
自分が全て、自分こそが世界の中心。
目線を転じれば、一瞬でわかる。
中心に立った途端、全てが見える。
いつ、世界の中心に立つのか。
それだけが問われている。
問われているのは、それだけ。
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