自分の本質とは何か

自分の本質とは何でしょうか。

過去の思い出や、今まで歩んできた道のり。

これは違いますね。

今やっている仕事、家族の中でのポジション、社会の中でのポジション。

これも違いますね。

 

私たちは普段、自分の本質について考えることは、あまりありません。

絶えず何かを思ったり、考えたりはしますが、自分の本質については、ほとんど考えることはありません。

「自分とは本当は何なのか」

このことにあまり、興味がないといえます。

他にもっと気を取られる要素がたくさんあるからです。

 

自分が本当は何であるかをはっきり掴むことは、新しい世界への冒険です。

裏側の世界への旅です。

それはディズニーランドよりも楽しいことです。(たぶん)

これは非常に愉快な冒険です。

こんなところにこんな冒険があろうとは、思ってもみなかったことです。

 

 

あなたが会社にいる時、あなたは会社にいる前に自分にいます。

コンサート会場にいる時、コンサート会場にいる前に自分にいます。

どこにいても、何をしていても、必ずそこにいる前に、自分にいます。

自分にいなかったことなど、一度もありません。

そんな「自分」。

 

今までそこに居なかったことなど、一瞬たりともありませんが、心ここにあらずで、心は常にどこかにさまよい出ていました。

それを、さまよい出ずに、そこにひたすらとどまってみる。

より深く、居てみるのです。

今いるその場の雰囲気に気を取られることなく、その場所以前にいる場所。

外のどこか、物理的などこかではなく、「自分」に、居てみるのです。

 

当然ですが、その場から受ける影響は、減っていきます。

目に入る光景、耳に入る音からの影響は、遠ざかります。

その場との関係性が、薄れていきます。

物理世界は、まるでテレビ画面の中で展開される出来事のように、他人事になり、遠ざかり、そして消えます。

 

自分の中にいる時、それは嵐の中の凪のように、無風状態です。

外でどんな嵐が吹き荒れていようとも、そこは無風状態です。

何も、ありません。

何もない場所。

そこが、自分です。

そんな自分に、深く深く居てみます。

 

深く深く居てみます。

「何もない」に、深く深く居てみます。

すべてを忘れ、すべてを消し去り、「無」に居る。ただ、居る。

 

 

何かほしいものがありますか?

何もありません。

何もほしくないし、何もありません。

 

何もないに居る気楽さ。

何も追いかける必要はない。

ただ解放、ただ気楽。

無限がここにある。

 

ただ解き放てば、ただすべてを解き放てば、すべてはここにある。

解き放つということは、豊かだ。

何にも固定されないということは、自由だ。

こんな簡単に、それらが手に入る。

 

我々は凝結しすぎている。

人、モノ、コト、思考、思い。

ありとあらゆるものに、凝結しすぎている。

 

簡単に、シンプルに、解き放つ。

ふわりとほどけて、散っていく。

春夏秋冬、季節はめぐる。

ただ、めぐる。

すべてはただ、流れる。

流れのままに、ただ流れる。

 

気持ちがいいとは、これです。

解放であるということ。

無であるということ。

それが自分の本質であるということ。

 

自分は何でもなかった。

名前でも肩書でも、社会的な役割でも何でもない。

何でもないが自分だった。

 

何かに凝結するのをやめ、シンプルにそれを解き放つ。

たったそれだけのことで、本質があらわになります。

本質はもともとのものだから、覆いかぶさっていたカバーをはずせば、それで事足りるのです。

 

自分自身に、出会う。

思ってもない自分自身に。

性格でもない、体型でもない、年齢でもない、職業でもない。

本当の自分。

そこにすべてがあります。

 

忘れましょう、とりあえず。

立てた目標は。

欲しいものは。

虚しさや虚栄心は。

とりあえず全部、忘れましょう。

気になるなら、またあとで思い出せばいい。

とりあえず今だけは忘れましょう。

とりあえず今だけ、全部捨てましょう。

 

「何もいらない」って、震えるほど甘美です。

その甘美を味わってからにしてください。

その甘美を味わったうえで、なおまだ必要なら、その執着を思い出せばいい。

 

きっともう、どうでもいいはず。

宇宙を体感したなら、個人というものが、とても小さくて、点にもならなくて、それはもう、無いも同然。

 

信じられない話は、裏から見れば、当然の話。

あなたは今、それが信じられない世界に住んでいるから、信じられないのは当たり前。

でも少し、ぐらついている。

今住んでいる世界が、少し信じられなくなっている。

何かがおかしいと、微妙な違和感を、敏感にキャッチしている。

その違和感を、確かめたいと思っている。

 

その回答は、裏側にある。

表の世界の裏に回ってみる必要がある。

「裏はどうなっているのか」と、確かめてみる必要がある。

表はこういう風に見えている世界。

それを成り立たせている裏はどうなっているのかと、確かめてみる必要がある。

 

世界のそっち側ではなく、こっち側。

外の視点ではなく、内の視点。

「世界」からの視点ではなく、「自分」からの視点。

 

あなたもそれを、確かめる時期に来ている。

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