人生を転換させる。
文字通り、人生を転換させるのである。
今まではうまくいっていなかったかもしれない。
しかし、今からうまくいくのである。
何しろ人生を転換させたのだから。
うまくいってなかった人生を、うまくいっているに転換してしまったのだから。
「何を言っている。何も変わってないじゃないか」
いや変わったのです。
うまくいってない人生が、うまくいっている人生に変わったのです。
「そんなの勝手に言っているだけじゃないか」
うまくいってないも勝手に言っているだけです。
同じ勝手に言うなら、うまくいっているでいいじゃないですか。
「そんなに都合よく自分の思いたいように思えない。ダメな現実をみたらダメとしか思えない」
だからその現実をダメだと決めているのが自分じゃないですか。
現実自体にいいもダメもありませんよ。
…
かように物事を「良い」とする、あるいは「悪い」とする判断は根深く、ほとんど反射的である。
これは良い、これは悪い。
この判断は考える間もなく、ほとんど自動的に行われている。
そこに判断が入っているとさえ、思っていない。
しかし物事は全て、判断が入らない限り、何の属性も持たない。
全てです。
全てはもともと、何の属性も持っていません。
そこに属性を与えるのは、人間の判断です。
これはこう、それはそうと、決めてしまっているのです。
そして、自ら決めてしまったことに縛られて、苦しんでいます。
このありさまを自縄自縛と言いますね。
苦しみは全て、自ら作り出してしまっているのです。
もともとそんなものはありません。
物事にはそもそも、何の属性もないのです。
つまり、うまくいっている、いっていないは「解釈」です。
自ら与えた属性です。
物事が何であるかは問いません。
そこにどんな属性を付与したかが、問題なのです。
どんな人生であろうと、そこに「ダメ」を付与したならダメな人生だし、「いい」を付与したなら、いい人生です。
それは勝手に決めていいのです。
これが天から賦与された、創造する力です。
「何である」と自由に決めていいのです。
人間に与えられた特権です。
そして、「何である」と決めた瞬間に、それは実際そうなります。
拾ってきた石ころを「これは宝だ」と決めれば、それはその瞬間、宝になります。
今生きている人生を「めちゃくちゃいい人生だ」と決めれば、それはその瞬間、めちゃくちゃいい人生になります。
そうならないのは、「そんなことあるわけない」という、そうは思わなくさせる根深いブレーキがあるからです。
ですからあなたが本当に人生を転換させたいならば、職を変えてみたり付き合う人を変えてみたりと現実に直接手を下すのではなく、頭の中を変えたほうがいいです。
現実は後から変わります。
あなたの頭の中で見ているものを、現実に見るようになります。
拾ってきた石ころを「宝だ」と決めたならば、あなたが見ているものは石ころではなく、宝です。
現にあなたは宝を見ているのです、目の前の現実に。
このようにして現実は変わります。
このことを現実創造と呼びます。
現にあなたは天から与えられた創造力を使って、現実を創造することが可能なのです。
なぜこの力を使わないのですか?って、そんなこと知らなかったからですね。
でも今知りました。
ですから早速使ってください。
明日からと言わずに、今日、いまから。
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