失くしてしまおう。
大事なものも、いらないものも、何もかも。
全てを失くして、全ても失っても、どうしても失えないものが、そこにある。
決して失うことができないものが、そこある。
だから安心だ。
最終的には、安心だ。
本当に大事なものは、失くせない。
本当に大事なものは、どうやっても失くせない。
だから安心だ。
その安心の中で、安心して失くそう。
失くすことは、気持ちがいい。
爽快だ。
何もない。
これ以上の自由があるだろうか。
何もない。
無限の自由、無限の安心。
持っているから、不自由になる。
持っているから、失う不安も生まれる。
全てを失くそう。
…
そもそも我々は、何も持ってはいない。
持っている「気がしている」だけだ。
持っているという「感じ」を持っているだけだ。
真に所有しているものなど、何もない。
所有は全て、幻想だ。
なんだ、幻想か。
全部幻だったのか。
あせって損した。(笑)
右往左往して、何やってたんだろ。
そりゃ掴んでも掴んでも掴みきれないわけだ。
幻だもの。
どんなに握り締めても、ちっとも握れなかった。
どんなにきつく抱き締めても、空を切るようだった。
目が覚めればそこには、何も無い。
幻が消え去るとそこには、「何も無い」があった。
「何も無い」は掴めないし、握れない。
抱き締めることもできない。
その必要はない。
掴んだり握ったりする必要はない。
自分自身がそれであるんだから、掴んだり握ったりする必要はない。
どんな力みも、どんな頑張りも必要ない。
ただ無限の、楽。
「なんだよ~、最初からゆってよ~」
もともとOKだったんだ。
ドッキリのプラカードを出されたような、そんな気分。
「なんだ、ドッキリかよ…」
ホッと一息。
…
あまりにも幻想はリアルです。
あまりにも迫真に満ちています。
うっかり騙されます。
簡単にドッキリにハマります。
じゃあどうやってその幻想を見破るのか。
それは「よく見て」ください。
よく見ないと、騙されます。
表面をさらっと眺めるだけだと、見えません。
それが一体何であるかを、とことんよく調べてみてください。
普通はそこまでの根気とモチベーションは、なかなか持てません。
さらっと眺めて、「あーはいはい、アレね」と、勝手な合点をしてしまいます。
それで大した問題がないからですね。
だから、それで「大した問題」になる場合に、初めて根気とモチベーションが生まれます。
幻想に深く傷つけられた、どうしようもないどん底に突き落とされた、もうどうしていいかわからない。
そんな時に初めて、幻想に対峙する決意が生まれます。
もちろん、そういう経験がなくても、単純に真実を知りたいというモチベーションに動かされる場合もあるでしょう。
何はともあれ、幻想としっかりと向き合い、正直に真実を見据えることによって、それは見えます。
「なんだそういうことか」
ホッと一息。
幻想の中でさらに幻想で対抗するのではなく、そこから降りてください。
そこから抜け出てください。
「止める」のです。
幻想との格闘を、止めるのです。
ピタッ。
シーン…。
静寂ですね。
何もありませんね。
無、ですね。
それです。
コメント
言葉のひとつひとつが
身に染み、心に広がり
頭がハンマーで殴られたような、その一方で、
殴られて気持ちよく感じるような
対峙したら凪が訪れ、
あんなに努力したのは
なんだったのかと、なぜ
あんなに苦しんだのかと
対峙するものがそこにある、あったのを知りつつ
目を背け、逃げて、
可能を不可能にしようと
躍起になり
4%しかわからない中で
勝手に推し量り、信じ
疲れて
ようやくそんな私にも
凪が訪れ、何も躍起になることはなく、
私が私に戻り、古い砂上の楼閣から離れた今
安らかな安らかな平穏。。
もう頑張らなくていいという安心
ありがとう
ずっとずっと求めていたことを明記してくださり
ありがとう
ありがとうございます✨