基本的に全部、一時的なことじゃないですか。
美味いもん食った、楽しく遊んだ、仕事でミスをした、恋人にフラれた。
日常生活にいろいろな出来事が起こりますが、起こっては消え、消えてはまた起こります。
永遠はありません。
起こっては消え、消えては起こります。
じゃあ永遠って何ですか。
起こりも消えもしないもの。
ずっとそうであり続けるもの。
それはもちろん、目に見える現象ではありませんね。
そんなものはない。
そんなものはない、というところに、それはあります。あるはずですね。
そんなもの考えて何になる?と思うかもしれませんが、逆に、起こっては消える一時的なものに専心して、そっちのほうが何になる、と思いませんか?
どうせ消えてなくなるのに。
永遠は現象にはありません。
逆にあったらヤバいですね。
ずっと同じなんて、そんなのイヤですね。(笑)
変化があるから、面白いですね。
いろんな可能性があるから、楽しいですね。
楽しくない時に楽しい選択ができる。
自分の選択によって、何かを選ぶことができる。
その可能性がいつでも残されていることに、安堵を覚えますね。
流転する現象の海でもがき続けているわけですが、永遠を知ると、もがくことをやめます。
もがく意味がないからです。
ただ単に、楽しみます。
ただ単に、今できる楽しいことを選択し、そして、ただ単に楽しみます。
イヤなことがあっても、じゃあ今度はこっちを選ぼうと、今後の糧にします。
シンプルです。非常にシンプルです。
ただしたいと思うことを、単純にしていくだけです。
何も難しいことはありません。
我々は全部、無限の中に展開している有限です。
有限を見れば有限です。それはそうです。
でも無限を見れば、それは無限です。それもまた、そうです。
有限の中にいて、有限の脳ミソを使って考えたことは、有限です。
でも、有限の中にいて、有限の脳ミソを使って考えている有限の自分は、無限の中に展開しています。
「何か」は何かである前に、「何でもない」なのです。
そのことを知った時、重みが消えませんか?
全ての何かは、何でもないなのです。
あれもこれもそれも全部、特に何でもない代物です。実質は。
重みをつけているのは、有限の脳ミソによる有限の何かです。
無限です。元は。
そのことを思い出すと、気楽じゃないですか?(笑)
コメント
最近このブログに出会いすべての記事を始めから全部読み終えました。本質は何もない。自分を見るなど興味深い内容だと感じます。久しぶりに新しい記事が読めてありがたいです。
まじすか!?!?コンプリート乙です!(笑)
でも読んでくださってる方がいるなら書こうかなという気にもなりますね。実際書くかどうかはわかりませんが(笑)
一年ほど前からの読者です。
最新の「無限」、一つ前の「あきらめる勇気」、長ーいため息をつきつつ、何度も何度も何度もうなずいています。
ない、ですよね、なあにも。お金も国も自分も他者も過去も未来も、あるように見えるもの全て。
でも、やっぱり「存在」は存在していて、そのくせ実体はなくて、えーっと今ここで生存しているのは自分で、今こうやって考えているのは、、、自分?いや「存在」さん?この辺まで来ると、脳が機能停止します。
有限なのに無限を考える脳。いや、脳もないはず。それとも自分の脳を外から観察できたら何か解明するのかしら?
こんな感じであきらめきれず、堂々巡りしています。
それにしても、「ない」は、なぜ「ない」らしく、おとなしくしていてくれないのでしょうか。紛らわしい。ある、と勘違いさせるような、そのあり様。なぜ、は愚問と知りつつ、つい、投げかけてしまいます。
いつも読んでくださってありがとうございます。
つまり、「ない」に納得できないということでしょうか?
「ない」ということを頭では理解できるけど、心が納得しないということですか?
「ない」は理解するものというより、事実をみたらそうなっている、ということですね。
上を見上げたら「ああ、空が青いな」と同じレベルで、事実をみたら「ああ、何もないな」ということです。
それは理解するものというより、ただ単にそうなっている、というものです。
すみません、回答になっているかどうかわかりませんが、わからないことがあればまた聞いてください。m(_ _)m
返信ありがとうございます。とても嬉しく拝読しました。
ご指摘の通りかと思います。
心を納得させようとして、ただの事実をひねくり回しているうちに、文字通り、空回りしているのかもしれませんね。
ご迷惑でなければ、また質問させてくださいませ。
ええ、いつでもどうぞ。^^