憧れのあの人のスタイルは、憧れのあの人のものであって、あなた自身のものではありません。
あなたは自分自身のスタイルを見つけましょう。
それは誰も知りませんから、誰かの真似によっては手に入りません。
それは、今の段階では自分自身ですらも知らないものです。
それは「決める」ものではありません。
あなたがこのスタイルにしようと、決めるものではありません。
それはもうすでにあるのです。
あとはそれを見つけるだけです。
あなたはあなた自身であるときに最もくつろぎ、最も真価を発揮します。
その自分自身を、あなたは自分自身で見つけるのです。
スタイルにこだわるのではなく、真価を発揮することにこだわるのです。
その結果として、自動的にそのスタイルを纏います。
…
それは、「ホームポジションとズレ」とも言えるでしょう。
いま、ホームポジションからズレた状態。
それをホームポジションに帰る、元に戻る、それを見つける、ということです。
ホームポジション。
自分の「ホーム」ですね。
これは悟りによって一気にバチッと戻れることもあるでしょうし、徐々にゆっくり、そこに近づいて行くというパターンもあるでしょう。
いずれにしても、ホームとズレ、この揺らぎを繰り返しながら、人生は進行していくでしょう。
この「ズレることができる」ということが、実は大きな意義です。
ズレることができずに、いつもホームポジション。何のブレもなく間違いもない。
これってどうでしょう?
つまらんですよね、単純に。
ズレることができる、そして、元に戻ることもできる。
この自由度。
これこそが意義です。
まずは自分のホームポジションを知らない人は、それが何であるかを知りましょう。
自分の戻る場所、本来の位置。
そのためには、ズレがなぜ起きるのかということを知るといいでしょう。
…
なぜズレるのか。
それは動くからですね。
単純な話です。
そこから動かなければずっとそこにいるのに、動くからズレるわけですね。
だから、動かないことです。
動かないことによって、元に戻ります。
動かないことによって、どんどん、どんどん、元に戻ります。
そして最終的にコトリとたどり着く場所。
そこが自分のホームです。
…
「動かないってなんですか?」
動かないは動かないです、文字通り。(笑)
瞑想や座禅なんかのように、「物理的に動かない」ということも、一つの助けになるでしょう。
最も核は「意識」です。
意識を鎮め、静止させます。
SNSをやめ、テレビをやめ、おしゃべりをやめ、思考をやめます。
完全なる静止。
沈んで沈んで、コトリとたどり着く最終的な底。
そことのコネクトを深くしていくことです。
必ずズレます。
それが三次元世界で生きるということですから、必ずズレます。
でも、ズレたら、戻ります。
戻ると、またズレます。
ホーム、ズレ、ホーム、ズレ。
それの繰り返しです。
それの繰り返しによって、人生は進行していきます。
ズレっぱなしの人は、まずホームを見つけてください。
そこから話は始まります。
そのためには、静止です。
ストップ。
…
それは広大無辺のパラダイスとか、そんなものではありません。
想像はしないでくださいね。
想像によってデッチ上げないでくださいね。
それは想像をやめた先にあるものですから。
想像をやめ、思考をやめ、全てをやめる。
その時たどり着いた、底。そこ。
むずかしく考えないでください。
いやむしろ、何も考えないでください。
普通に当たり前の話です。
近所のスーパーに買い物に行くくらい、当たり前の話です。
当たり前の当たり前、一番当たり前。当たり前の親玉が、それです。
「何?どれのこと言ってんの?」
どれでもありません。
どれでもないものってなんですか?
それです。
トンチじゃありません。
リアルです。
リアルのリアル。最もリアルがそれです。
最も当たり前、最もリアル。
つまり、行き着く先。最先端。
全てをはぎ取り、全てを無くし、最後に残った物。
行き着かないということは、まだはぎ取るべきものが残っているということですね。
まだ完全に全てを無くし尽くしてないということですね。
行き着くところまで、行ってください。
落ちて落ちて、底まで落ちてください。
完全に沈み切ってください。
ホームを見つけてください。
そしてそこに居てください。
するとまたズレます。
そしたらまた戻ってください。
ホームとのコネクトを深くしていけば、あなたのスタイルは自ずと身についていることでしょう。
いえ、もはや、スタイルなんて気にもしていないことでしょう。
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