「努力」と「真剣」の違い

自分が変わりたいと言っておきながら何も変わってないということは、真剣さが足りないのです。

「まあどっちでもいいかな」くらいにしか思ってないのです。

真剣にやって変わらないことなどありません。

なんにも変わってないのだとしたら、真剣じゃないからです。

 

「うそつけ、めちゃくちゃ真剣にやっている」という場合、努力と真剣を間違えている可能性があります。

 

真剣とは、頑張るとか努力するとは違います。

これらの概念は、似ているけど全然違います。

「毎朝瞑想を1時間、欠かさずやる」とか、それ自体は真剣さとは何の縁もゆかりもないことです。

 

頑張りませんし、努力もしません。ただし真剣、ということはあり得ます。

のんびりしてるし、くつろいでいます。ただし真剣、ということもあり得ます。

真剣とは、100%それに向き合うということです。

それは頑張ることとは全然違います。

 

どんなに頑張っていようと何も変わらない人は、向き合い方が5%とか10%だったりします。

それで変わるほうが逆におかしい。

 

世界は法則に従って運行しているので、煮え湯に水を数滴垂らしたくらいで変わるはずがありません。それは法則に反します。

氷を毎日毎日どぼどぼと入れ続けて、それでやっと変わるかどうかです。

それは法則なので、ただそうだというだけです。

 

変わりたいと「言う」だけでは、何も変わりません。

実際に氷を毎日毎日投入し続けて、それでやっと変わるかどうかです。

言っていることや思っていることではなく、「やっていること」を見てください。

 

 

「努力」と「真剣」を間違えていませんか?

努力、刻苦勉励、頑張り、励みはしているけど、「真剣」じゃないのかもしれません。

それらは全く別のことです。

体を酷使すること、汗水たらすこと、クタクタになるまでやることと「真剣さ」はまったく別です。

 

何度も言っているけど、「波動」です。

体を酷使しながらマイナスの波動を出していたら、結果はマイナスです。

左団扇でのんびりしてても、プラスの波動を出していたら、結果はプラスです。

自分の出している波動を真剣に見張っているかどうかです。

どれだけ疲れたとか、どれだけ頑張ったとか関係ないから。

 

波動をぼんやりと見逃しているから、思ってもない結果が出ます。

ぼんやりしていながら、その結果に「ええ!なんで!?」とか驚いてます。

傍から見たらおバカですよ。(笑)

そのまんまじゃないって。

あなたそれそのまんまですよ? 何を今さら驚いてるの!?って、こっちがびっくりするわ。(笑)

 

真剣さとは100%向き合うことです。

100%意を注ぐということです。

 

5%なら5%なりの結果です。

10%なら10%なりの結果です。

それって当たり前のことでしょう?

めっちゃ当たり前のことですよね。

 

頑張るんじゃありませんよ?

やみくもに頑張ってもしょうがない。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとか言いますが、当たらないから。(笑)

絶対に当たらないから。

なぜなら当たったとしても気づかないから、その態度では。

 

真剣に的の中央を狙い、慎重に引き金を引くから当たるのです。

100%の集中力で狙い、当てる。

当たるんじゃないんです、「当てる」んです。

真剣さとは、100%の集中力で的の中央に「当てにいく」ことです。

 

ブログを流し読みしてても、何も変わりませんよ?

熱心に読むのは結構ですが、実際に真剣さを発揮しないと、何も変わりませんよ。

それは「法則」ですから。

世界がそういうふうにできているのだから、しょうがない。それに合わせるしかない。

 

逆に、痛みも苦しみも悲しみも必要ありません。

そんなものはまるっきり必要ありません。

ヘトヘトに疲れるまでやる必要はないし、歯を食いしばって耐える必要もありません。

 

むしろ簡単です。

 

真剣にやるって「たいへんだな~」というイメージかもしれませんが、むしろ簡単です。

ただやるかやらないかの違いしかありません。

痛みとかないし、苦しみもありません。

本当にただ、やるだけです。

そしてやり続けるだけです。

 

実際にそれを、選択するかどうかです。

コメント

  1. 本当にすばらしい「神との対話」シリーズ以来の感銘です。

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