「わからないんです」と人は言う。
「これがわからないんです」「あれがわからないんです」「これのここの部分がよくわからないんです」
しかし、「わかる」ということは、重要ではありません。
わからなくてもいいんです。
わからなくても問題はありません。
わかるかどうかよりも、「今、何を感じているか」が重要です。
わからないとき、不安、焦燥、恐れを感じています。
その「感じているもの」のほうが、より重要です。
…
今、感じていること。
フィーリング。
これって結構、見過ごされています。
それよりも、「何であるか」や「どうであるか」が重要視されています。
肩書、見え方、意味、解釈。
「気持ち」がなぜスルーされるのかというと、目に見えないからです。
あなた以外の誰も知らないからです。
それは全然「パブリック」ではありません。
誰とも共有できないもの。
それはとてもパーソナルなものです。
だから、自分がそれをどう取り扱うかが全てです。
自分がそれを、取るに足らないもの、大したことないもの、意味のないもの、と取ってしまったら、それはそのままそういうものとして確定してしまいます。
外の世界には、もっと重要で、もっと深刻で、もっと意義がある(と人が言う)ものがあふれています。
多くの人がそう言うので、そうなのだろうと思ってしまいます。
数がモノを言います。
外のものが重要で、内のものは閑却されている。
それが「普通」の状態です。
しかし自分を生きるとは、パーソナルなものをこそ最大限尊重することです。
つまり「自分の気持ち」です。
今、自分が、何を感じているかです。
…
あなたは、何を感じていたいだろうか。
何を感じて、日々暮らしたいだろうか。
あなたが感じたいものを、感じたらどうだろうか。
あなたが感じたいことを感じるように、行動したらどうだろうか。
食べ物、会う人、行く場所、買うもの。
見るもの、聞くもの、話すこと、触れること。
選択の余地はあるはず。
今、この瞬間、できることはあるはず。
自分の気持ちを、最大限尊重したらどうだろうか。
ほかの誰かのためではなく、未来の自分のためでもなく、今この瞬間の自分のために。
いつも置き去りにされている、今この瞬間の自分のために。
「今、自分が感じていること」
それは何だろうか。
それはあなたの感じたいことだろうか。
違うとしたら、再選択は可能だろうか。
今できることは、何だろうか。
コメント