人は何かを手に入れたいと思います。
家、車、人々の注目、他人からの愛、お金、成功。
しかし、人は何かを所有するということは、できません。
人はそういうふうには、出来てないのです。
「手にした」と思っているのは、概念です。
何物も真に所有することはできません。
「これは私の物」「これはあなたの物」
これは概念です。
「そう思っている」ということです。
これが事実です。
「この家は私の家だ。自分のお金で建てたし、書類もちゃんと揃っている」
家もお金も書類も、ただの「モノ」です。
全ては「モノ」と、それにまつわる概念です。
概念を世の中で共有しているということです。
何もない広大な平原に、「ここに壁があることにしよう」「ここにはこれくらいの穴があることにしよう」と、何もない所に共通認識で壁や穴を「あること」にして、その中で生きている、ということです。
ただ単に「事実」を見たら、そこはただの広大な平原です。
私たちは概念の中を生きているということです。
それがつまり、一般的な普通の生活であり、社会生活です。
概念ではなく、事実を生きたらどうなるでしょう。
そこは広大な平原です。
遮る壁も、落ちる穴もありません。
自由です。
無限大の自由です。
それを思い出してみてはいかがでしょうか、ということです。
本来のこと、元々そうであることを。
…
本来は何もありません。
「無」です。
そこに、概念でいろいろこしらえたわけです。
あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない。
これはこういうことにしよう、あれはそういうことにしよう。
全部「概念」です。
事実は、今あるものが、ただあるままに、あるだけです。
あるものが、あるままに、あるだけ。
シンプルな事実。
元々そうであること。
それを思い出すことは、本来に立ち返るということです。
正気に戻るということです。
狂乱と騒乱と混乱から、我に返るということです。
苦しかったり、イヤな気分だったり、不安だったりというブレを、「静止」に戻すということです。
我々は普段、あまりにも大騒ぎしすぎている。
実につまらないことで、ギャアギャアわあわあ。
世の中全部、どうでもいいことです。
政治も経済もご近所付き合いも。
だってもともと、何もないんだから。
何もないところに、勝手に概念をこしらえているだけだから。
勝手にこしらえた概念に引っ掛かって、勝手に唸ったり悶絶したりって、自分で仕掛けたワナに自分で引っかかるみたいなものでしょう?
ちょっと冷静になりましょうよと。
ちょっと元の状態にリセットして、一回リラックスしましょうよと。
一回リセットして、クリーンな状態から始めましょうよと。
そういうことです。
そのために自分に返るのです。
そのために、外の一切を、一回全部捨てるのです。
元々は自分しかいない。
その中心のポジションに戻るのです。
…
中心から物事を行えば、外すということはありません。
中心は全てに通じているからです。
入り組んだ変な隅っこのポジションからだと、ごくヘンテコリンな発想しか生まれません。
そこから見える、ごく小さな景色と、ごく偏狭な発想では、何の効果も及ぼすことはできません。
そこにいたまま力技で何とかしようとしても、何ともなりません。
それは宇宙の法則ですから。
そこに居てがんばるのではなく、まず中心に戻るのです。それが先決です。
大抵の人は、居場所を変えないまま、その偏屈な場所にいたまま、力技でなんとかしようとがんばります。
でもそれは、やり方が間違っています。
それは法則から外れているのだから、しょうがない。
中心を押さえれば、全てに通じる。
辺境にいたままだと、全体に通じることはできない。
それが法則です。
そうなのだから、どうしようもありません。
力技ではどうにもなりません。
頑張った、努力したからといって、それで法則が覆るわけではありません。
法則が「そういうもの」としてあるのだから、それに従うしかありません。
リセットしましょう、一回。
そして、まっさらな場所から始めましょう。
毎瞬まっさらな場所からはじめましょう。
法則に則ることが、最も正しい方法です。
概念に汚されていると、汚された状態が当たり前になってしまい、自分が汚れていることに、なかなか気づけないものです。
だから今、気づきましょう。
今、いかに辺境にいるかということに、気づきましょう。
中心とは自分です。
自分が世界の中心です。
なぜなら自分のいる場所が、自分だからです。
そんな当たり前のことすら、普段忘れています。
自分がいる場所が本来自分だということを忘れ、会社にいたり学校にいたり家庭にいたりします。
本当にリアルにそこにいるかのように、振る舞います。
本来そんなところに居るはずないところに「概念」でもって、居るわけです。
校舎も概念だし、クラスも概念だし、授業も概念です。
家庭も概念だし、親子も概念だし、ご近所も概念です。
事実は「自分」だけです。
自分だけが、概念ではない唯一のものです。
自分とは、概念がその中で展開する舞台です。
自分だけが、唯一のリアルです。
つまり、世界の中心です。
自分に居る時が、もっともうまくいく時です。
そこが本来の場所だからです。
本来の場所にいることによって、物事は本来性を取り戻します。
つまり、中心に戻ることが先決です。
何よりも先決です。
全ての話はそこからです。
改めて今自分がどこにいるか、チェックしてみましょう。
…
中心にいれば、全てがうまくいきます。
なぜならそれが法則だからです。
そういうふうになっているのです。
だからただ単に、そうするだけです。
難しい理屈は何もありません。
「何で?」もクソもないのです。
ただそうだからそうする。
それだけです。
「何で?」とか必要ないのです、本当に。
「何で?」以前の話です。
だって見たまんまだから。
見たまんま、そのまんまだから。
見たらもう、間違えようもなく、そのまんまだから。
難しく考えることはすでに、辺境に入り込んじゃってます。
中心はシンプルです。ごくシンプルです。
まるっきりそのまんまです。
考えとか疑問とか出る余地もありません。
ストレートに落下します。
ストーンと。
寄り道とかありません。
ものを落としたら、真っ直ぐ落下するでしょう?
寄り道したり回り道したりしないでしょう?
ストーンと真っ直ぐに落ちる。
それが法則です。
ものを落としたら、真っ直ぐ落下する。
それが法則です。
その法則に則る。
宇宙と同調する、自然に生きる、本来に立ち返るとは、そういうことです。
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