人生を正しく生きる方法

人生を正しく生きるにはどうしたらよいか。

 

そもそも、「正しい人生」などというものがあるのでしょうか。

それは、あります。

正しい、というよりも、そこから外れると苦しくなるという意味で、むしろ「正常な人生」と言ったほうがいいかもしれません。

人生は、正しく生きていれば、スムーズで真正です。

正しさから外れると、問題が起きたり、苦しくなったりします。

 

では、その正しさとは何か。

 

それは、手放す、ということです。

何も持たない、ということです。

オープンでいる、ということです。

透明でいる、ということです。

余計なもの全てを捨てれば、もともとの在り方、つまり正常に戻る、ということです。

 

 

「何も持たない」とはもちろん、実際の持ち物を全部捨てるということではありません。

それらに「執着しない」ということです。

それは家や車やお金といった物理的なものから、会社での地位、社会的な地位、人間関係、思考や空想といった、「持つことが出来るもの」全てです。

 

「問題」なるものは、全てそこから生まれます。

何も持たない、オープンでいる、透明でいるとは、それらを全て捨てた、クリーンな状態でいる、ということです。

余計なものを捨てれば、人生は正常に戻ります。

 

 

なるほどそうなれば確かに、人生は真正でスムーズなものになるかもしれません。

でも同時に「何もない」は、あまりにも空しい感じがして、そうなりたいとはちっとも思えないかもしれません。

 

特に、人生がうまくいっている時、全てが思い通りにいっていて、楽しくハッピーな状況にある時など、なおさらです。

持ち物全てが気に入ってるときに、それらを捨てるという発想は、なかなか持てるものではありません。(もちろん物理的に捨てるという意味ではなく、「執着しない」という意味ですが)

 

 

そうなりたいと思わない時にはもちろん、無理にそうする必要はありません。

しかし、「正しくない」生き方は、必ず行き詰まる運命にあります。

なぜならそれは文字通り「正しくない」からです。

人生は必ず「正しい」方向に回帰する動きを見せます。

 

うまくいかない、苦しい、何か違うという違和感。

正しくない生き方をしていると、必ずそういった「正しさ」へと回帰するような動きが発生します。

それは、木の芽が真っ直ぐ上に伸びようとするのと同じような、自然の摂理です。

 

 

しかし、大抵の人は、その動きを無視したりフタをしたり、気づかないふりをしたりして、今まで通りの生き方で、何とかやり過ごして生きています。

あるいは、本来の正しさではなく、自分なりの「正しい」解釈を試みてみたり。

でも、全てはうまくいきません。

 

人生には必ず、どうにもやり過ごせない時が来ます。

やり過ごすことなど到底出来ない経験に遭遇します。

それは一般的には「不幸」と言われたりしますが、逆に、そのような経験がやってこないことのほうが不幸かもしれません。

真理に目覚めるきっかけを与えられず、悶々と中途ハンパな人生を送ることは、それはそれで不幸です。

 

 

本来の正しさ以外は、全てうまくいきません。

うまくいった気がすることはあっても、本当の意味でうまくいくことはありません。

正しさはただひとつであり、それ以外にはありません。

その正しさこそが、全てを捨てて透明でいる、本来の状態でいる、ということです。

 

 

逆に言うとそれは、もともとの状態、とも言えます。

何も持たない、素っ裸の状態です。

生まれたての赤ちゃん、みたいな感じです。

 

我々はみな、素っ裸の赤ちゃんとして生まれ、そこからたくさんの持ち物を身に付け大人になり、それをまた捨てて素っ裸の赤ちゃんに戻る過程を演じているのかもしれません。

純真無垢の赤ちゃんから、大人としての見識を身に付け、そしてまた純真無垢に帰る。

それが人生のサイクルなのかもしれません。

 

 

捨てるのが空しい、と思うのは、今までの生き方の感覚で見た時の感想です。

今までは、「いかに得るか」という生き方をしてきました。

いかにいい学校、いかにいい会社、いかにいいパートナー、いかにいいモノ・コト・経験。

物理的、感覚的に「満たされた」という経験がないと想像される「捨てる」の世界は、きっと空しいものに違いないと。

 

でも逆です。

捨てることによって、満たされるのです。

余分なものを捨てることによって、そこに満たす余地が生まれるのです。

 

 

実際、掴んでいるものを放すことによって、初めて世界はその真の美しさを露わにします。

想像、妄想というフィルターを通さないで見た時に、初めて世界の本当の美しさを認識できます。

赤ちゃんの時には認識できなかったその美しさは、大人の認識能力を備えた今なら、認識することができます。

 

真の豊かさ、美しさは、想像を超えています。

それは、思考力や想像力の獲得とともに、逆に見えなくなっていったものです。

思考を通して、想像を通してものを見るようになり、真の純真さは見えなくなってしまいました。

後天的に身につけた思考力や想像力を使っていると、いつまでたってもそれが見えません。

 

自分が欲しい満足とはこういうもの、豊かさとはこういうもの、自分にとってうまくいく人生とはこういうもの。

想像の範囲内という、限定された人生。

それを捨てた時、真の人生が、あなたに訪れます。

 

捨ててください。遠慮なく。

捨てると清々しくなるのは、わかるでしょう。

スッキリ気持ちよくなるのは、わかるでしょう。

あの感覚です。

あれをあなたの人生において、再現するのです。

 

偽の人生を捨てきった時、真の人生が立ち現れます。

捨てる、捨てる、捨てる

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