それでいい

実はそれでいいのです、それで。

ちっとも前に進んでないような感覚があるかもしれませんが、それでいいのです。

それでいいのです。それで。

 

もっと何かをしなくてはいけない、もっと頑張らなくてはいけない。

他のみんなはすごい結果を出しているけど、自分は出していない。

もっと何かをやらなくてはいけない。

いろいろな思いが浮上するでしょうが、それでいいのです。

 

ちっともそれでいいと思えない。

それもまた、それでいいのです。

 

それでいいということを知らなくても、それでいいに違いはありませんが、それでいいということを理解すると、安心があります。

 

 

物事はちゃんと前に進んでいるのです。

一年前と今、まるっきり一緒ですか?

違いますね。

物事はちゃんと前に進んでいます。

それがいいか悪いかは置いといて、ちゃんと変化していること自体は、わかると思います。

 

やるべきことは、何かを達成することではありません。

もちろん達成したかったら、やっていいですけど。

しかし人生とは、達成とか未達成とか、成功とか不成功とか、そういう話では全然ありません。

 

物事は起こっているのです。

宇宙はポコポコと起こっています。

川はさらさら流れています。

人生もさらさら流れています。

達成とか未達成とか、成功とか不成功とか、そういう話では全然ありません。

 

起こることを止めることはできません。

川の流れを止めたら、水があふれるという、次の出来事が、また起こります。

物事は必ず、起こるのです。

それは止めようと思っても、止めることができないものです。

 

「止めようと思う」という出来事は起こります。

「止めに入る」という出来事も起こります。

出来事は必ず「起こる」のです。

それは誰にも、止めようがありません。

 

そういうことです。つまり。

「どうしようもない」のです。

いいことだろうとイヤなことだろうと、物事は起こり、出来事は起こります。

ただ、起こるのです。

 

人の意図は起こります。

また、そんな意図とは関係なく、起こることは起こります。

やる気は起こり、やる気のなさもまた起こります。

 

ただ起こる。

それが事実です。

宇宙はただ運行しているのです。

 

ただ起こっている宇宙の中で、自分にできることは何か。

それは、その起こりを眺めることです。

つまり、何もできないということです。(笑)

 

起こることは起こります。

ポコポコポコポコ。

それをどうこうしようということは、非常に的外れです。

なぜなら、その「どうこう」も、起こっていることだからです。

どこまでいってもそれは、起こっていることです。

つまり、できることは何もないのです。

それは「できたというつもり」であり、「できたという気分」です。

なにもできていません。

それは「起こっている」のです。

すべては「起こっている」の範疇に含まれてしまうのです。

「できた」というそれさえも。

できたこと、自分がやったこと、できたというつもり、できたという気分。

全部全部ひっくるめて、それは「起こり」です。

それは、誰もが普通に観察したときに見える、事実です。

 

見る以外に、できることは何もありません。

そして見るとはつまり、何もやっていません。

つまり、何もやらないのです。(笑)

 

見ているとき、何が見えるかというと、起こりがみえます。

それ以上でも以下でもありません。

以上でも以下でもないその場所。

それがいわゆる悟りです。

何でもないのです、つまり。

思っているようなことは何もないのです。

それは文字通り、「思っていること」です。

「思っていること」なる事実は、どこにもありません。

事実は、何もないのです。

 

それでいいというか、それしかないのです。

それしかないものが、あるだけです。

だから、それでいいのです。(笑)

コメント

  1. セリスシェール より:

    宇宙自体が完璧な技術である。完全に自動的に「起こって」いる。ところが私たちがそのプロセスを理解しないで宇宙の技術を引っ掻き回すと破壊する恐れがある。それがレッドカードの退場だ。

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