人生最強の敵に対峙する時

人生の解決は「やめる」ことだといろんな記事で書いていますが、「やめる」ってどういうことかを改めてご説明しましょう。

人生の解決において誰もが引っかかる難問について
ブログを読んだり本を読んだりして、みなさんは人生を好転させる方法について「理解」はされていることでしょう。 しかし、知ってはいるけれども何も変わらないという人もいます。 そういう人は、知ってはいるけど「実施」をしていないということですね。 ...

苦しみとはつまり「不一致」

苦しみは「比較するから発生する」という話を以前しましたけど、「やめる」とはつまり、その比較をやめるということですね。

ワンネスの説明
「比較」がなければ苦しみはない、という仕組みはご存知でしょうか。 苦しみはすべて「比較」から生まれます。 理想の状態と、そうではない現状との比較によって生まれるのが、苦しみです。 比較がなければ、苦しみはありません。 比較をやめるというのが...

 

何かであって欲しい、こうであって欲しいという理想と、そうでない現状との比較、それによって発生する彼我の不一致こそが、「苦しみ」と呼ばれるものの正体です。

苦しみとはつまり、「不一致」です。

 

仲良くなれない、うまくいかない、当てが外れた、期待を裏切られた。

苦しみ、嫌な気分、ネガティブな心情。

これらは全て「不一致」です。

 

そうすると、幸せやいい気分というものはその逆、つまり「一致」ということになりますね。

うまくいった、成功した、願いがかなった、思い通りになった。

つまり、「一致」です。

 

心の問題、成功法則、人生の諸問題なるものは全て、この「一致か不一致か」という一点にまとめることができます。

つまり、「それでいい」と思えるか、「それではダメだ」と思うかです。

 

「それじゃダメ」「なに考えてんだよ」「もっと良くしないといけない」

批判に意味はある? という前回の文章はつまり、勝手に不幸になっている現代人を揶揄した内容です。

バカと幸せの関係
野生のジャングルに批判ってないじゃないですか。 あるがまんま、そのまんま。 食ったり食われたり、やったりやられたり。 野生のジャングルに、他人を批判しているやつはいません。 それでありながら野生のジャングルは、しっかり存続しています。 ある...

 

「ワンネス」なるものもつまり、そもそも全ては一致しているんだよ、という話ですね。

ワンネスの説明
「比較」がなければ苦しみはない、という仕組みはご存知でしょうか。 苦しみはすべて「比較」から生まれます。 理想の状態と、そうではない現状との比較によって生まれるのが、苦しみです。 比較がなければ、苦しみはありません。 比較をやめるというのが...

 

不一致をどう一致させるか。

人生を解決するとはつまり、この問題を解決するということです。

最終局面にいる現代人

心の中に何かモヤモヤがある。

モヤモヤがあって、何かスッキリしない。

現代人の多くが体験している現実です。

 

「何」とは言えない。

具体的に何、とは言えない。

文化的な暮らしを享受し、そこまで大きな不満もない。

 

しかし、何かが足りない。

あと一歩、のどまで出かかっているそれ。

最後の一歩。

何か釈然としない、それ。

 

それもつまりは、「不一致」です。

それは、最後の砦の、不一致です。

 

物理的には満たされた、とりあえず生活に不自由もない。

満足してもいい状況。

しかし、心が「ノー」と言っている。

漠然とした、ノー。

なぜノーと言うのか、自分でもわからない。

 

これは、現代人に突き付けられた、最終問題です。

ラスボスです。

これを倒せはゲームクリアとなる、最終問題です。

 

あなたは今、ゲームをそこまで進めてきたということですね。

最終局面までやってきたということですね。

そして今ここで、そのラスボスに対峙しています。

ラスボスは今までのザコキャラとは全然違う!

ラスボスは強敵です。

何しろ見えない。

だから、そもそも攻撃が通じない。

 

今までの敵は、見えた。

だから、何をどうすればよいかが、わかった。

対処方法が存在した。

それは「対処」によって、解決できた。

 

しかし、ラスボスはそうはいかない。

そいつは見えない。

「対処」は通用しない。

 

ラスボスに苦戦しているということは、そいつに「対処」で向かっているのです。

今までのやり方で、ラスボスに立ち向かっているのです。

 

しかし、ラスボスは今までのザコキャラとはまるっきり違います。

今までのやり方は全然通用しません。

 

どうしたらいいのか。

途方に暮れる。

 

 

と、今ここですね。

今までと全然違う敵が登場して、途方に暮れているのが、今現在の状況ですね。

ラスボスを倒す方法

さあどうしましょう。

今までの手は通用しない。

さあどうしようか。

どうします?

あなたなら、どうします?

 

対処が通用しないなら、もうお手上げですね。

つまり、「お手上げ」です。

降参です。

全面降伏です。

参りましたと。

 

「バカ野郎、ここまで頑張ったのに降参なんてできるか!」と頑張ってしまうのが、一般的な態度です。

だから、いつまでもラスボスを倒せないで、うんうん唸っています。

 

ラスボスは倒さないのです。それは倒すんじゃないのです。

倒されるべきは「私」です。

だから降伏です。

負けるべきは、私です。

私は倒されることによって、生まれ変わるのです。

 

日本は無条件降伏をしたから、生まれ変わりました。

あのまま戦争を続けていたら、今の日本はありましたか?

誠に「ご聖断」なわけです。

あなたも自分自身に対して、聖断を下す必要があります。前に進むために。

 

全面降伏です。

「参りました」と、全てを明け渡す必要があるのです。

「やめる」の真の意味

捨ててごらんなさい、全てを。

意地もプライドも、固く握りしめている希望も夢も。

 

これは、今までのやり方とは180°逆です。

誠に発想の転換が必要になります。

得るのではなく、捨てる。

これはなかなか難しい発想の転換です。

 

全てを解放すると、「ほどける」のです。

固く握りしめているそれを解放すると、「解放される」のです、自分自身が。

あなたは囚われているのです。自分自身によって。

自分で自分を縛り付けているのです。

 

不一致を引き起こしている原因は、自分自身です。

自分自身によって、ワンネスからの分離を引き起こしているのです。

 

これはこうであるべき、自分はこういう人間であるべき、私はこうなりたい、ああなりたい、そうじゃない今は何か違う感じがする。

夢やこだわりやプライドや思い込みによって、自ら不一致を引き起こしている。

そうでなければ、もともとは何の不一致もない。

つまり、もともとはワンネス。

 

どうでしょう、この仕組み、ご納得いただけますか?

思い当たるフシ、ありますか?

 

苦しみがあるということは、必ず何かを握りしめています。自分では無意識だったとしても。

まあ無意識だからこそわからないわけですが。

無意識だからこそ、一体何が「ノー」なのか、自分でもわからないのです。

 

心にウソはつけません。

心は「不快感」という形で、あなたに信号を送ります。

しかしあなたは、その不快感の原因を特定できない。

それなりにうまくいっている、特別不満もないはず。

それなのに心が「ノー」という。

一体何なのかと。

 

それはあなたが、知らず知らずのうちに握りしめているのです。

「こうあるべき」を。

これは現代人ならば、必ず持っているものです。

なぜなら現代文明は、「こうあるべき」によって構築されているからです。

「こうあるべき」がないのは、野生のジャングルです。

バカと幸せの関係
野生のジャングルに批判ってないじゃないですか。 あるがまんま、そのまんま。 食ったり食われたり、やったりやられたり。 野生のジャングルに、他人を批判しているやつはいません。 それでありながら野生のジャングルは、しっかり存続しています。 ある...

 

ここは野生のジャングルですか? そうではないですね。

ですからあなたは「こうあるべき」の中で暮らしているのです。

環境がすでに「こうあるべき」なのです。

だからあなたには、何とは知れない不一致、つまり心の「ノー」があるのです。

それはつまり、現代社会に暮らしている必然と言えます。

 

そのような環境下でラスボスを倒すのは、難しいですね。

縛りによって構築されている現代社会に暮らしながら、その縛りから解放されるのは困難です。

 

しかしそれは、不可能ではありません。

なぜならそれは、「心」の問題だからです。

身体を縛ることはできますが、心を縛ることはできません。

【とても大事な話】人生の根本
あなたが人生を好転させたいならば、現実を変えるのではなく、心持ちを変えてください。 なぜなら、「私」こそが実質で、現実は幻だからです。 「私」は対象物ではない、すなわち、現実の一員ではないという話をしました。 「私」が感じていることが、実は...

 

心は解放できます、心によって。

物理的な身体の縛りは、「縄を解く」という物理的な手順によって、解くことができます。

心の縛りは、「心を解放する」という、心による手順よって、解くことができます。

 

逆に言うとそれは、物理的な行動によっては解放できないのです。

物理的な行動が助けにはなりますが、最終的に必要なのは、物理的な行動ではなく、「心」という目に見えない部分の変化です。

 

「やめる」というのは、物理的な何かではなく、心におけるそれです。

心において、放擲するのです。

心において、自由になるのです。

 

身体や考え方は、現代社会のフォーマットに従っていいでしょう。

そうしないと生きていけませんから。

しかし、心は自由です。

心まで縛られる必要はないのです。

 

身体や考え方の縛りが、心にまで影響しているのが、現代社会です。

その縛りを解いていきましょう。

心において、自由になりましょう。

人生のしくみ

ラスボスとはつまり、「私」です。

縛られた「私」こそが、ラスボスです。

最大の敵とは、自分自身です。

 

「私」が降伏するとは、ラスボスが降伏するということです。

ここにおいて、「私」=「敵」という不一致が解消します。

根本的な不一致が、解消します。

私は私に還ります。

 

「私」=「私」

 

今までの、何とは知れない違和感は、私が本当の私ではなかったということです。

 

本当の私であってください。

それが解決です。

それが、全ての全て、根本の根本です。

 

「私」=「私」という、この上ない幸福。

 

降伏とは幸福、なのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました