不安やネガティブな感情を何とかしたい。
これは結構みなさんよく思われることですね。
それに対して、
- 深呼吸をする。
- 瞑想をする。
- 楽しいことを考える。
と、いろいろな対処法が示されています。
対処とはつまり、「立ち向かう」「向き合う」「取り組む」です。
何かイヤなことが起こったら深呼吸する。起こったら深呼吸、起こったら深呼吸。
毎回それを繰り返します。
起こったら対処、起こったら対処。
延々それに取り組み続けるわけです。
それに対して解決とは、「綺麗サッパリ消えてなくなる」です。
問題は消えてなくなり、それで終わりです。
対処し続けるのと、消えて終わり。
どちらがいいかは人それぞれだと思いますが、ここでは消えてなくなる方の「解決法」をお話します。
不安やネガティブな感情が「ある場所」と「ない場所」
そもそも、皆さんが嫌がり、忌避する、不安やネガティブな感情なるものは、それらが「ある場所」にいるから、あるのです。
「ない場所」に行けば、ありません。
つまり、「ある場所」から「ない場所」に行くことが、解決です。
「ある場所」にいたまま、それらを何とかしようとしても、それは何ともなりません。
「ある場所」にいるわけですから、それは「ある」のです。
ある場所にいたまま、それらを無くすことはできません。
なぜならそれは「ある場所」だから。
ある場所にいたまま、目を背けたり、ないフリをしていても、それはあるのです。
ここでのキーポイントは「場所」という観点です。
「ある場所」にいたまま、それらを無くそうという努力がいかに空しいかは、ご自身の経験によっても、よく理解できることと思います。
それらは無くしても無くしても、次から次に出てきます。
なぜならそこは、ある場所だから。
ある場所においてそれらを無くす努力をするのではなく、自らがそれらが無い場所に移動する。
そういう発想は、今まであまりなかったかもしれません。
しかし、それこそがつまり、「解決」です。
「場所」という概念
この、「場所」という概念。
まずはこのことについて、考えてみましょう。
「場所」です。
あなたは普段、意識の中で、自分がどの場所にいるか、考えたことがありますか?
「日本」とか、「東京」とか、そういう物理的な場所ではないですよ、もちろん。
ここで言う場所とは、例えばこういうことです。
「不安やネガティブな感情にとらわれている自分自身を見ている場所」
不安やネガティブな感情にとらわれている時、普段は「それに取り組んでいる自分」という場所にいます。
それに対処している自分ですね。
しかしこの時、その対処している自分を「見ている自分」という場所もまた、あるわけです。
そこに行きましょうというのが、今回の話の主旨です。
不安やネガティブな感情が消えてなくなる仕組み
「そこに行ったからといって、不安やネガティブが消えてなくなるわけではないでしょう? だって現に目の前に見ているわけだから」
そう思われるかもしれません。
そうです。
消えてなくなるわけではありません。
それはちゃんと、そこにあります。
しかしもう、そんなことはどうでもいいのです。
「ああ、あるな」くらいのもんです。
「見るポジション」とは、そういうことです。
「やるポジション」なら「うわ~苦しい!大変!助けて!ヒェー!」ってなもんですが、見るポジションなら、「ほ~」くらいなもんです。
それが見るポジションです。
そこへ行けば、眼下に展開されている事象については、もうどうでもいいのです。
「へ~」とか「ほ~」で終わりです。
つまりそれが解決です。
不安やネガティブな要素が苦しいのは、それと一体化しているからです。
そこから離れてしまえば、苦しくありません。
テレビや映画で、痛い場面、苦しい場面を見ていたとしても、実際のあなたは、痛くも苦しくもありません。
あまりに入り込みすぎて、痛かったり苦しかったりする「気がする」ことはあるかもしれませんが、実際のあなたは血も流れていないし、傷もついていません。
それと同じです。
見るポジションに移動しても、相変わらず不安やネガティブはあることでしょう。
味わってみるならば、それはちゃんと、不安やネガティブの味がすることでしょう。
しかし、「だから何?」ってなもんです。
それに対して別にどうこうはないのです。
それはそれ、以上終わり、です。
不安やネガティブそのものが消えてなくなるのではありません。
そうではなく、「どうでもいい」というポジションに移動することによって、それらの存在感が消えてなくなるのです。
存在感がなくなる。
つまり、実質的に消えてなくなるのと同じ体験を、そこでするわけです。
不安やネガティブがない場所
では、どうやってそのようなポジションに移動するか。
例えば、目の前のコーヒーカップを見てください、と言われれば、見れますね。
あの雲を見てください、花を見てください、車を見てください、看板を見てください。
全部見れますね。
目の前のあれやこれやは見れます。
では、「今、頭の中で考えていることを教えてください」となったら、どうでしょう。
「この後なに食べようかなと考えてました」
「何て言って謝ろうかと考えてました」
「休みの日どこに行こうかと考えてました」
これも言えますね。
「言える」ということは、それが「見えている」ということです。
「説明できる」のは、それが見えているからです。
同じく、不安やネガティブな要素についても、「お金がないのが不安です」とか「恋人がいないのが不安です」と、説明できますね。
説明できるということは、それが見えているということです。
たとえうまく言葉では説明できないようなモヤモヤした気持ちだったとしても、「それがある」と認識することはできますね。
「ある」と認識する。
それがすなわち「見えている」ということです。
そこです。
そのポジションです。
「見えている」「認識できている」
そのポジションです。
「あ~ほんとにイヤだな」と、その不安に巻き込まれるのではなく、そのポジションから、ただ単に見ていてください。その不安を。
そのポジションをキープし続けていてください。
それができるなら、あなたの不安は「解決」です。
それができないなら、あなたの不安は、解決しません。
やるやらない、難しい難しくないなど、いろいろな感想があるかもしれませんが、原理としては、そういうことです。
まとめ
今回の内容をまとめてみましょう。
対処と解決の違い
まず、不安やネガティブな感情をどうにかする場合、「対処」と「解決」という、二種類の方法がありました。
対処は、不安やネガティブな感情がある場所(存在する場所)で、それに取り組むという方法です。
これは「それがある場所」において行われるため、キリがないという特徴があります。
「ハイ出た、ハイ対処。ハイ出た、ハイ対処」を繰り返します。
それに対して解決は、不安やネガティブな感情がない場所に移動するという方法です。
ない場所に移動とは、要するにそれらの要素が「消えてなくなる」ということです。ない場所に移動するわけですから。
こちらは対処とは違い、一度きりで終わりです。(ただし「ある場所」に再び移動すれば、また元に戻ります)
不安やネガティブな感情をどうにかしたいと思った場合、まずこの二種類のどちらかを選択することになります。
(今回の記事では、消えてなくなる方の「解決法」を説明しています)
具体的な方法
では、「解決」の具体的な方法ですが、それは「見るポジション」に移動する、ということです。
なんとかしたいと思っている不安やネガティブな感情を「見る」ということです。
「見る」とはつまり、対象を認識している状態です。
不安やらネガティブな感情を、意識で捉えている、という状態です。
そして、不安やネガティブな感情を意識で捉えることができたなら、その状態をキープします。
見るポジションに居続けるということです。
「対象として捉えている」ということは、それと一体化していません。
取り組んで格闘して、悶絶して絶叫していない、ということです。
見続けている時の感覚は、どんなものでしょうか。
それは「ふ~ん」みたいなものです。
特に何、ということは、ありません。
ただ「それ」という感じです。
その時、ネガティブな要素の主張は、非常に弱まります。
強風は凪に変わります。
悶絶は静止に変わります。
「普通」です。
普通に、普通です。
他と同列です。
「だから何?」という感じです。
つまり、存在感が消えてなくなるということです。
他と同列です。
「無」みたいなものです。
「無」だけがあるみたいな感じです。
こうやってなんか、消えてなくなります。
知らんしどうでもいい、みたいに、消えてなくなります。
ちゃんとそこに居るけど、消えてなくなります。
居ることは居るけど、ただそれだけ、みたいな感じです。
つまり、「無いも同然」です。
いちいち意識しないし、他のあれやこれやと同列で、何が特別すごいということもないし、何が特別劣るということもない。
フラットです、同列です。
何があってもいいし、何がなくてもいい。
もはやどうでもいい。
そんな感じです。
要点
もちろん、不安やネガティブがある場所に戻れば、すなわち、それらと一体化すれば、また簡単に元に戻れます。
しかし、再び「ない場所」に移動すれば、また消えてなくなります。
つまり、自分が今どこにいるか。
これさえ把握していればOKです。
たまには不安やネガティブに巻き込まれて悶絶したい時もあるでしょう。
そういう時はそこに飛び込んで一体化すれば、簡単に悶絶可能です。
「ある場所」「ない場所」
これらをうまく使い分けて、ぜひ、一度きりの人生をエンジョイしてください。
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