人生は発見の連続です。
「え、それでいいんだ!」という発見です。
我々は生きていて、何か閉塞感のようなものを感じています。
何か行き詰るような、何かツマラナイような。
大きな問題はない。かといって心弾むような何かもない。
閉塞感。
詰まった感じですね。
それは文字通り、詰まっていて流れていないのです。生命が。
生きることは「流れ」です。
川の流れにもたとえられますね。
生きるということは、「流れる」ということです。
うまく流れないと、閉塞感を感じることになります。
この詰まった感じはなんでしょうか。
それは「否定」です。
「それはダメだろ」という否定を、無意識のうちに行っているのです。
これは本当に「バックグラウンド処理」のように目に見えません、意識もされません。
表では何とかしようといろいろ行動しても、その裏で「否定」というバックグラウンド処理が坦々と行われているわけですから、実際物事は前に進みません。
いくら頑張っても、裏で否定のプログラムが走っている限りは、前に進みません。
そのバックグラウンド・プログラムを書き換える必要があるのです。
「肯定」に。
肯定は前に進める力で、否定は引き止める力です。
我々の人生が流れていかない、何か詰まった感じがするのは、否定がそこにあるからです。
…
「発見」というのは、否定が肯定に変わる瞬間です。
今までダメだと思っていたものが「いい」ってなったとき、人の顔はパッと輝きます。
発見の瞬間です。
「え、それでいいんだ!」
物事が前に進む瞬間です。
人生が流れ出す瞬間です。
その瞬間を繰り返すことで、人生はようやく本来の流れを取り戻します。
つまり人生が変わるって何が変わるのかというと、否定が肯定に変わるのです。
…
例えば、人は何かをしなくちゃいけないと思い込んでいます。
逆に言うと、何もしないのはダメだと。
何かを成し遂げ、その価値を認めてもらわないと、生きている意味がないと。
だから、本来何もしなくていい休みの日にさえ、せっせと何かをやります。無理に。
もちろんその裏には、「何もしない自分はダメ」という否定のプログラムが走っていますから、どんなに頑張っても、物事は大して前に進みません。
そしてある時、発見します。
「実は何もしなくていい」と。
その瞬間、その人の顔はパッと輝きます。
「確かに!!何もしなくていいんだ!そんな法律もないし強制もない!謎に何かしないといけないという呪縛に囚われてたわ」
プログラムが書き換わります。
「何もしない自分はダメ」から「何もしない自分でOK」と。
そして、本当に何もしません。
…
しかし何もしない時、「文字通り」何もしないでいられますか?
「ああ、大好きなあの人の本を心ゆくまで読みたい」とか、「ああ、気になっていたあのお洋服をもう一度見に行きたい」と、せずにはおれない衝動に突き動かされます。
「したい」じゃなくて、「せずにはおれない」です。
そしてそれはぶっちゃけ、めちゃくちゃどうでもいいことです。めちゃくちゃしょーもないことです。
世間体を気にしていたら、とてもできないような、しょーもないことです。くだらないことです。
でも今ならできます。
だって何もしなくていいから。
やってもやらなくてもいい取るに足らないこと、しょーもないことも自由にできます。
だってそれって別にやらなくてもいいことだから。
解放したからこそ飛び出してきたのです。
今までは「そんなのしょーもないから」と抑えつけていたけど、その抑えつけが取れたから、飛び出してきたのです。
「本当はやりたかったくだらないこと」が。(笑)
何もやらなくていい時、人は自由を得ます。
それは、しょーもないことさえできてしまう「自由」です。
何かビッグなことを成し遂げなければいけないという呪縛からの解放。
しなければいけないことなんて何もない。
何もしなくていい。
何もしなくていいからこそ、何をしてもいい。
たとえそれがしょーもないことでも。
「流れ」ますね。
流れます。
流れ出します。
生命が躍動します。
「生きるってこういうことか!」と実感します。
それは今まで想像していた、グレイトでワンダフルなものでは全然ありませんでした。
どちらかといえば、しょーもない。ある意味、くだらない。
予想外のトホホ加減です。(笑)
しかし、見るべきところはそこではありませんでした。
そこが核ではなかったのです。
「流れ」です。
「見た目」ではありませんでした。
もちろん、世間の誰も注目していません。
むしろくだらない、取るに足らないことだと思っています。
むしろ白い目で見られるかもしれません。
しかし、一度流れ出した生命を止めることはできません。
くだらない人生で結構。
命がこんなに喜んでいる。
生きるってこういうこと。
私はくだらない、充実した人生を、生きていく。
その人は白い目で見られたまま、人生を終えるかもしれません。
もちろん逆に、周りの人に拍手喝采迎え入れられるかもしれません。
人は生命の輝きに惹きつけられるものだから。
しかし本人にとっては、もうどうでもいいのです。
周りの反応は、もうどうでもいいのです。
この生命の躍動をハッキリ掴んだから、それでいいのです。
「くだらないかもしれない」という恐れ。
そしてそこからの解放。
くだらなくてもいいという肯定。
くだらない人生に対する肯定。
それが本当の自分を引き寄せた。
生命が躍動する、本来の人生。
他人からどう見えるかなんて知らない。
本人は100%の確信で言う。
「これが私の人生です」と。
これが「プログラムの書き換え」です。
否定から肯定への転換です。
…
人生の転換となるのは「発見」です。
「それでいい」という発見です。
「え、うそマジで!?それでよかったんだ!」という、発見です。
コロンブスの卵。
言われてみるまで気づかなかった。
でも言われてみると、ぐうの音も出ないほど、それでいい。
「え、それでいいんだ!?」という発見。
否定という重い閉塞感の中、足を引きずるようにして歩いているみなさん。
発見しましょう。
転換はあるのです。
それは「発見」によって、もたらされます。
実際、世界の真実は肯定です。
肯定しかありません。
世界は肯定でできています。
世界がそこにあるという時点で、すでに肯定です。
世界は「それでいい」と許されているから、そのようにあります。
許されていないものが、あるはずありません。
あなたが許せないと思っているそれも、本当は許されているから、そこにあります。
世界は全て、許されている。
あとはあなたがそのことを「発見」するだけです。
(続き↓↓↓)
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