つまりはこういうことです。
アセって何かを始める前に、状況がどうなっているのかをよく確認しましょう、ということです。
頑張って勉強しないとみんなに置いていかれるとか、早く彼氏みつけないと結婚できないとか。
「チョット待って!」ということです。
そもそもそんな必要あるのかと、何かをするその「何か」は、そもそも必要なのかと、冷静になって検討してみるのです。
いったん全部忘れて、今、ここが、一体何なのかを、よ~く思い出してみましょう。
もしもですよ?
もしも本当に、いったん全部忘れることができたなら、なんにも無くなるはずです。
だって全部忘れるわけですから。
本当に全部忘れてしまえたら、なんにもありません。パーフェクトです。
問題もヘッタクレもなんにもありません。ただパーフェクトです。
つまり、うまくいかないということは、全部忘れることができない、ということです。
どっかで必ずその懸案事項がひっかかっていて、きれいサッパリ忘れることができないのです。
ちなみにみなさんよく瞑想とか座禅とかやりますよね?
あれってつまり、きれいサッパリ忘れるためのメソッドみたいなもんですよね。
いかにきれいサッパリ忘れるか。
その重大性の認識が昔からあり、そのためのメソッドも開発されてきたということです。
…
「忘れる」
つまり「なくす」。
アセって行動に走る前に、一回全部なくして、そこに浮かび上がるありのままの状況を確認しましょう。
といっても、完全に無くすことがむずかしいわけですよね。
必ず頭のどっかに引っかかっていて、完全には無くすことができない。
ですから努力をするならば、完全になくす努力をこそしてみましょう。
瞑想や座禅みたいな、昔からあるメソッドを実行してみるのもいいでしょうし、最近のメッセンジャーたちの言葉に耳を傾けてみるのもいいでしょう。
しかし、もっとも効果的なのは、「自ら探求する」ということです。
聞いた話と自分の体験では、まるっきり雲泥の差ですよね?
月とスッポンくらい違います。
聞いた話を鵜呑みにするのではなく、自ら経験するのです。その目で見るのです。その心と身体で体感するのです。
人がどうにかしてくれるという依頼心では、永遠に進歩は見込めません。
人の言うとおりにトレースしてみても、それは自分の血肉にはなりません。
本当に自分の心と身体で体感した時、初めて他人の言っていることも理解できます。
実際に自分が体感してみて、その体験を言葉にする時、確かに先人たちの言っていたとおりの言葉になるのです。なってしまうのです。
体感です。
他人の言葉ではありません、自分の言葉です。
自分の目で見、自分の手で触れ、自分の言葉で語ってください。
世界には自分しかいません、自分が世界です。
自分自身を放棄しても、自分自身を生かしても、どっちも一緒です。
どっちでも世界は変わりません。ただただ世界です。
自らの力を放棄しても、行使しても、どっちも一緒です。だから選ぶんです。したいほうを選ぶんです。
他人に力を預けても、なんにも変わりません。
自分がパワーを行使しても同じです。
どっちでもいいんです、なんでもいいんです、自由に選択できるんです。
どうであっても、世界はただ世界です。
世界を変えるんじゃありません。
世界はどこまでいっても、ただ世界です。
磐石の基盤です。
だから自由にやってくださいよと、世界はそういうところです。
だからあなたは何をやりますかと。
他人に力を預けて不自由になりますか?
ああいいですよ、存分にやってください。
それとも自分に力を取り戻して自分の足で立ちますか?
ああいいですよ、存分にやってください。
どっちでもいい何でもいいというその時、あなたは何をやりますか?
他人に力を預けなくてもいいでしょう?
自分が主役でいいでしょう?
謎の呪縛から抜けましょうよ。
誰も禁止も強制もしてませんて。
自分で自分に呪縛をかけています。
というようなことも、ポッカリあっさり事実を確認すればわかることです。
「見て」ください。まず。アセって行動に走る前に。
発車前の前後確認は教習所で習うでしょう?
発車前によく前後を確認してください。
そうすればぶつからずにスムーズに発車できるでしょう。
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