「捨てる」ことによって「得る」

我々は普段、得ることに熱心です。

本を読んだり、テレビを見たり、スマホを見たり。

新しい情報を取り入れたり、新しい資格を得たり、新しい勉強を始めたり。

 

常に何かをしていないと、気が済みません。

常に何かを取り入れていないと、落ち着きません。

だからその逆の発想、つまり「捨てる」ということは、ほとんど思いつきません。

あまりにも沢山のモノや情報に埋もれてしまって、本来のもの、もともとのものは、見失われています。

 

我々が本当に求めるているものは、「得ること」によって得ることはできません。

我々が本当に求めているものは、「本当のこと」であり「これ以上ないこと」であり「最高到達点」です。

それは「得ること」によって得ることはできません。

それは、もともと持っているものです。

 

もともと持っているものとは「本来の自分」であり、「もともとの自分」です。

それが本当のことであり、これ以上ないことであり、最高到達点です。

 

もともと持っているものを、得ることはできません。

それは「得る」ではなく、「顕にする」「顕現する」です。

もともと持っているけど見えなくなっているものを、顕にするのです。

 

そのためには「得る」の逆の発想、つまり、余計なものを「捨てる」という発想が必要です。

覆いかぶさっている余計なものを排除することによって、本来持っているものが、顕になります。

 

 

人生は苦しさやつらさの連続とも言います。

しかし、そもそも何もないのに苦しさやつらさがあるでしょうか。

苦しい、つらい、ということは、苦しい、つらいと思わせる要素があるからこそ、そうなるのです。

誰かにいやなことを言われたとか、将来に対する不安とか、思い通りに動いてくれない彼や彼女とか。

 

それらを単純に捨ててしまえば、苦しさもつらさもないはずです。

苦しさやつらさは、それを生む要素を抱えているからこそ生まれます。

それが何なのかを特定し、それを単純に捨ててしまえば、苦しみもつらさも無くなります。

それは客観的に観察すればわかる、ごく単純な話です。

 

ここで必要なのはやはり「捨てる」という発想です。

どんなに捨てたとしても、もともとの自分だけは、捨てることができません。

どんなに捨てまくったとしても、本来の自分だけは残ります。

だから、安心して捨てることができます。

 

 

いらないものは、捨てればいいのです。

それを持っていることが苦しみやつらさを生むなら、捨てればいいのです。

 

捨てた後に勝手に湧き上がってくるもの。

それこそが、あなたが欲しがっていた、本当のことであり、これ以上ないことであり、最高到達点です。

それは、絶対に他所から得ることはできません。

それは必ず「湧き起こる」ものです。

どこかから持ってきて取り入れることはできません。

あなたが真に欲しがっているものは、あなたの内に、すでにあるのです。

 

もちろん、「捨てる」ということは、簡単にできる場合もあるでしょうが、普通は勇気や思い切りの良さが必要なものです。

それを見事発揮し得た人だけが、この世で手に入れられる最高の宝を手に入れることができます。

あなたが本当に欲しがっていたものが。

 

それは欲しい人が全員、手に入れることができます。

全員が内に持っているから。

ただ、その隠された扉を開くことができるのは、ごく少数です。

 

チャンスは誰にでも平等にあります。

もちろんあなたにも。

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