一般的に人は、苦しみを避け、喜びを追い求めます。
そんな生き方に満足していますか?
その「生き方自体」に、満足していますでしょうか?
苦しみというトラップにはまらないように慎重に歩きながら、喜びというご褒美にありつけるようにくまなく目を凝らす。
その生き方それ自体に、疑問を持つことはないですか?
「なんか違うくね!?」という疑問は、湧いてこないでしょうか。
何の疑問もないなら、それでいいでしょう。
しかし、その生き方自体に疑問を持つ人もいます。
「何か違う」
「何が」とはハッキリ言えないけど、その違和感の存在自体は、ハッキリしている。
このスッキリしない感じ、気持ち悪さ、モヤモヤ。
それはつまり、何かが違うということを、あなたに知らせています。
あなたにとって何かが違うから、何かが違うと感じるのです。
そういう意味で「感じる」とは、とても偉大な機能です。
それは考えて出した結論ではありません。
数々の論拠を検討し、熟慮に熟慮を重ねた結果、出した結論ではありません。
単純に感じるのです。
「何かが違う」と。
どこからやってくるのでしょう、この偉大な感覚は。
…
それは、あなたの本然です。
自然が自然に自然であるように、あなたの中にも自然と同じような自然な部分があるのです。
あなたは内臓器官や呼吸器官を意識して動かしているわけではありません。
「勝手に」動いています。
それが「自然」ですね。
ウイルスが進入してきたら、自然に、排除しますね。
何か違う生き方を察知したら、自然に、元に戻ろうとします。
それがあなたの本然です。
自然に帰りましょう。
あなたの本然に、本当の生き方に。
あなたの本然は、導いてくれます。本来の道に。
耳を澄まして、ちゃんと声を聞いてみましょう。
巷に溢れる情報を一回シャットアウトして、あなたの本然の声を聞いてみましょう。
草木が勝手にしゃべらないように、あなたの本然も勝手にはしゃべりません。
それはあなたから耳を傾ける必要があります。
しっかりと意識を向けてみましょう、自分の本然に。
帰ろう、本当の自分に。
あなたが耳を傾けてくれたことに、きっとあなたの本然は喜んでいます。
仲良くしましょう、それと。
それはあなた自身です。
誰よりもあなたに近い、あなた自身です。
こんなに身近に、こんな存在がいたことに、びっくりです。
今まで外側にばかり解答を求めていたから、気づきませんでした。
解答はいつでも自分の中にありました。
あなたは自分の美しさにびっくりします。
自分の強さにびっくりします。
自分の気高さにびっくりします。
自分の安心感にびっくりします。
もうどこにも行く必要はありません。
「これ以上はない」と、あなたはハッキリ確信します。
出会いましょう、本当の自分と。
これ以上の出会いはありません。
いままで探しもしなかった場所。
そこにそれはいます。
あなたは自分の美しさを知らなかった。
自分の強さを知らなかった。
気高さを、安心感を知らなかった。
だから必死でそれを身につけようとした。
でも全部、あなたは最初からそれを持っているのです。
それは自らアピールするような不躾さは持ち合わせていません。
ただ、そこにあるのです。
もっともありそうにない場所に。
だから自分から見つける必要があります。
全然美しくないと思っていた自分の中に、本当の美しさが、
もっとも弱いと思っていた自分の中に、本当の強さが、
卑しいと思っていた自分の中に、本当の気高さが、
不安におびえていた自分の中に、本当の安心感が。
それは全部、あなたです。
本当の、あなたです。
…
それは予想外の出来事です。
思いもしなかった出会いです。
あなたの予想の範囲内には、それはありません。
予想も想像もやめて、ただ純粋になりましょう。
ただ純粋な時が、本当の自分です。
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