地上の天国

人は大抵、エゴや欲をもとに生きています。

エゴや欲を満たそうとして、あれやこれや動いています。

しかし、エゴや欲をもとにした生き方は、エゴや欲に満ちた世界を出現させます。

誰かを利用してあなたのエゴや欲を満たそうとするならば、あなたも誰かのエゴや欲のために利用されます。

 

つまり、見るべきは自分自身です。

「なんでこんなにエゴや欲にまみれた世界なんだ」と嘆くならば、あなた自身をよく見てみてください。

世界はあなた自身を反映していますよ、と。

 

あなたはどんな世界に生きたいですか。

生きたいならば、あなた自身がそういう世界になるのです。

美しい世界に生きたいならば、あなた自身が美しくなるのです。

世界はあなたの中に展開しています。

世界はあなた自身の投影です。

 

 

エゴや欲というのは、動物的な衝動です。

個体を生存させるために備わった、一種の動物的な機能です。

今はそれが暴走しているような感覚です。

 

エゴも欲も、生きる上で必要でしょう。

しかしそれを中心に据えてしまったらどうでしょう。

それはもう、エゴや欲にまみれた世界を出現させることになります。

動物的な世界です。

弱肉強食、適者生存、食うか食われるかの殺伐とした世界です。

 

そんな世界はイヤだといいながら、自分自身のエゴや欲は手放しません。

つまり世界の有様に吐き気を催しながら、その世界を自分自身で生み出し続けているのです。

 

 

人は誰しも、エゴや欲に満ちた世界はイヤだと言います。

動物的な世界。動物園みたいな世界。

誰もそんな世界がいいとは言わないでしょう。

本当はそんなもんじゃない、もっと美しい世界、もっと素晴らしい世界があるはずだと、あなたの中の声は告げています。

 

その声は何でしょうか。

 

それはあなたの本心です。

あなたの本心は、常に声を発しています。

普段ほとんど聞いていないかもしれませんが。

聞かずに、エゴや欲を優先させています。

そして、エゴや欲に満ちた世界を生きています。

イヤだイヤだと言いながら。

 

 

エゴじゃないなら、じゃあ何をもとに生きていけばいいのかという話ですが、それは自分の本心です。

 

本心はウソをつきません。

ウソがないから本心です。

本心はキレイです。

本心は真心です。

 

そんなものが自分の中にあるのかとお思いかもしれませんが、当たり前にあります。

なかったら生きていません。

本心はあなたの実体です。

 

世界は虚像です。

あなたの思考も感覚も、虚像です。

唯一の実体が、本心です。

本心がなかったら、何もありません。

 

本心に生きる。

それだけが、唯一実質的な生き方です。

 

 

本心。

わかりますか? あなたの本心。

周りの何にも影響されない、あなたの内から湧き出てくるそれ。

「そう在れ」という至上命令。

 

エゴや欲とは全く異次元の衝動。

普段、外の世界にばかり目をやっていて、まったく閑却されていたそれ。

ただし、いつでもいかなるときでもあなたと共にあった、それ。

そこに意識を向けましょう。

 

その強さ、美しさ、畏怖にも似た感覚。

「神」とも呼びたくなるその崇高さ。

それがあなたの中に、あるのです。

エゴでも欲でもありません。

崇高さが、あなたの中にあるのです。

 

それは特別なものではありません。

あまりにも当たり前なものです。

だって自分の本心であり、実体なのですから。

本当はどうしたいのか、心の奥の奥にある、自分の中心から湧き上がって来るその感じに、耳を傾けてみてください。

 

歩くこと、手を洗うこと、呼吸の一つひとつにさえ、美しい所作がありはしませんか?

そうしたい、そうすべし、それが正しい、という衝動。

理由はない。

理由はないけど、ハッキリとわかるそれ。

間違えようがない、それ。

 

押し付けてはこない。

そんな不躾ではない。

もっと優雅で優しい存在。

だからこそ簡単にエゴや欲にかき消されてしまう、それ。

 

その優しさを掬い出して。

その崇高さを発見して。

 

そこに生きてください。

 

それを天国と呼ばずして、何と呼びましょう。

地上の天国は、あなたが作るのです。

あなたの選択だけが、それを可能にするのです。

いえ、選択という、たったそれだけのことです。

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