人は大抵、エゴや欲をもとに生きています。
エゴや欲を満たそうとして、あれやこれや動いています。
しかし、エゴや欲をもとにした生き方は、エゴや欲に満ちた世界を出現させます。
誰かを利用してあなたのエゴや欲を満たそうとするならば、あなたも誰かのエゴや欲のために利用されます。
つまり、見るべきは自分自身です。
「なんでこんなにエゴや欲にまみれた世界なんだ」と嘆くならば、あなた自身をよく見てみてください。
世界はあなた自身を反映していますよ、と。
あなたはどんな世界に生きたいですか。
生きたいならば、あなた自身がそういう世界になるのです。
美しい世界に生きたいならば、あなた自身が美しくなるのです。
世界はあなたの中に展開しています。
世界はあなた自身の投影です。
…
エゴや欲というのは、動物的な衝動です。
個体を生存させるために備わった、一種の動物的な機能です。
今はそれが暴走しているような感覚です。
エゴも欲も、生きる上で必要でしょう。
しかしそれを中心に据えてしまったらどうでしょう。
それはもう、エゴや欲にまみれた世界を出現させることになります。
動物的な世界です。
弱肉強食、適者生存、食うか食われるかの殺伐とした世界です。
そんな世界はイヤだといいながら、自分自身のエゴや欲は手放しません。
つまり世界の有様に吐き気を催しながら、その世界を自分自身で生み出し続けているのです。
…
人は誰しも、エゴや欲に満ちた世界はイヤだと言います。
動物的な世界。動物園みたいな世界。
誰もそんな世界がいいとは言わないでしょう。
本当はそんなもんじゃない、もっと美しい世界、もっと素晴らしい世界があるはずだと、あなたの中の声は告げています。
その声は何でしょうか。
それはあなたの本心です。
あなたの本心は、常に声を発しています。
普段ほとんど聞いていないかもしれませんが。
聞かずに、エゴや欲を優先させています。
そして、エゴや欲に満ちた世界を生きています。
イヤだイヤだと言いながら。
…
エゴじゃないなら、じゃあ何をもとに生きていけばいいのかという話ですが、それは自分の本心です。
本心はウソをつきません。
ウソがないから本心です。
本心はキレイです。
本心は真心です。
そんなものが自分の中にあるのかとお思いかもしれませんが、当たり前にあります。
なかったら生きていません。
本心はあなたの実体です。
世界は虚像です。
あなたの思考も感覚も、虚像です。
唯一の実体が、本心です。
本心がなかったら、何もありません。
本心に生きる。
それだけが、唯一実質的な生き方です。
…
本心。
わかりますか? あなたの本心。
周りの何にも影響されない、あなたの内から湧き出てくるそれ。
「そう在れ」という至上命令。
エゴや欲とは全く異次元の衝動。
普段、外の世界にばかり目をやっていて、まったく閑却されていたそれ。
ただし、いつでもいかなるときでもあなたと共にあった、それ。
そこに意識を向けましょう。
その強さ、美しさ、畏怖にも似た感覚。
「神」とも呼びたくなるその崇高さ。
それがあなたの中に、あるのです。
エゴでも欲でもありません。
崇高さが、あなたの中にあるのです。
それは特別なものではありません。
あまりにも当たり前なものです。
だって自分の本心であり、実体なのですから。
本当はどうしたいのか、心の奥の奥にある、自分の中心から湧き上がって来るその感じに、耳を傾けてみてください。
歩くこと、手を洗うこと、呼吸の一つひとつにさえ、美しい所作がありはしませんか?
そうしたい、そうすべし、それが正しい、という衝動。
理由はない。
理由はないけど、ハッキリとわかるそれ。
間違えようがない、それ。
押し付けてはこない。
そんな不躾ではない。
もっと優雅で優しい存在。
だからこそ簡単にエゴや欲にかき消されてしまう、それ。
その優しさを掬い出して。
その崇高さを発見して。
そこに生きてください。
それを天国と呼ばずして、何と呼びましょう。
地上の天国は、あなたが作るのです。
あなたの選択だけが、それを可能にするのです。
いえ、選択という、たったそれだけのことです。
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