人は、「面白い・面白くない」で物事を判断します。
あるいは、「心地いい・心地よくない」とか「楽しい・つらい」とか。
そう、ものごとを「判断」します。
そして、好ましいほうを選択し、そうでないほうを切り捨てます。
判断せずにはおれないのです。
ほとんど「判断する=生きること」となっています。
そして真実は、「判断しない」です。
判断しないで、それがそのままである状態。
それが真実です。
人が真実を選択するのがむずかしいのは、実に判断グセが捨てきれないからです。
「真実」は「面白くない」と「判断」してしまうのです。
そう、真実は決して面白くはありません。
面白いや面白くないを超えたものだからです。
それが普通の人にとって、面白くないのです。(笑)
「面白い・面白くない」で判断する人にとって、真実は決して面白くありません。
だから、それを選択しないのです。
「面白い・面白くない」で捉えているから、そうなります。
…
判断を捨てるのです。
わからないものをわからないままにするのです。
「判断」というやり方を、一回捨ててみましょう。
ただ判断しないでいてください。何も。
ただそれだけです。
まあ、むずかしいことではないですね。
やろうと思えばできますね。
ちょっとそれをやってみてください。
なるべく長い時間。
そっちのほうに身体を慣らしていってください。
その結果どうなるかすら判断せず、ただやるだけです。
…
判断の結果を重視するなら、そんなことできませんね。
「いやそんな面白くも何ともないことに、時間は使えないよ」と。
それならそれでも構いません。
しかし、真実を見てみたい、体験してみたいなら、そうしてみてください。
ただ判断を捨てます。どこまでも、どこまでも。
その結果どうなるかも、判断しません。
やってよかったなあ、とか、やめとけばよかったなあ、とか、判断しません。
ただ「そのまま」です。どこまでもずっと、そのままです。
何の期待も判断もせずに、ただやってみてください。
面白い・面白くないを超えた世界を、直に体験してください。
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