自分の経験の中に、嫌なものが現れますね。
苦しみであったり、怒り、不安、恐怖。
あるいは欲であったり執着であったり。
そして、そういったものをどうこうしたいという欲求も起こります。
思い通りにしたい、コントロールしたいと。
そして実際、どうこうしようとしてしまいます。
このどうこうをやめることです。
やめるったって、しちゃう。
わかりますよ、しちゃいます、誰だって。
でも、それをやめるのです。
わからないをわからないままにし、そこから逃げるのではなく、ただそこに居るのです。
どこにも行きません。
ただそこに、居るのです。
とっても簡単ですよ。実際やってみてください。
痛くもないし、痒くもありません。
何でもありません。
「無」です。
あらゆるどうこうを捨て、ただ無で居るのです。
「なにそれ?どうやんの」っていう思いも捨てます。
文字通り、字義通り、何もしないのです。
何もしないったって、トイレには行くし、飯も食います。普通に仕事もしますし、日常生活もそのままです。なにも変わりません。
ただ、どうこうしようとするのをやめるのです。
浮かんでは消える思いもそのままにします。何もしません。
ぽか~ん、という感じです。
でも、ぼんやりではありません。
「普通」です。
気を張るわけではなく、気を抜くわけではなく、普通です。至って普通です。
ただ流れます。ものごとはただ流れます。
流れるままにしておきます。何もしません。
考えに凝り固まるのではなく、溶けて一体化してください。
全体に一体化してください。
「自分」という凝り固まりを溶かし、全体と一体化してください。
普遍です。
すべてはひとつです。
わかりません、なにもわかりません。
「わかる」というのは、ひとつの凝り固まりです。
全てを溶かすと、なにもわかりません。
全てはわからないにおいてひとつです。
わからないというひとつになってください、一体化してください。
「無」ですね。
何もありませんね。
何もないにおいて、全てがありますね。
それはわかるものではありませんし、理解するものでもありません。
ただ「そう」だというだけです。
ただ「そう」です。
これしかなくないですか?
これしかありませんね。
これしかありません。
ただそうなんですよ。
良いとか悪いとかではなく、ただそうなのです。
そこに居ましょう。
見つけるような場所や境地に行くのではなく、ただそこに居るのです。
だってそれしかないんだもの。
それしかないところに居る。
もうそれしかありませんね。(笑)
そこに居てください。
もう、今、ここで。
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