事実をよく調べてみることが、全ての解決です。
我々は普段、起こる出来事、目に見える現象、感じる気持ち、頭に浮かぶ思考、そのレベルの中で生きています。
いわゆる「現象」のレベルです。
ああ、いいことが起きたなぁ、悪いことが起きたなぁ、楽しいなぁ、嬉しいなぁ、悔しいなぁ、と。
それらは何でしょうか。
それら感覚が捉えるいろいろな出来事、それは一体何でしょうか。
ただ「いいなぁ、いやだなぁ」のレベルで終わるのではなく、さらに突っ込んで、それらが一体何であるかを、よく調べてみましょう。
…
まず、それらは「なぜ」起こるのでしょうか。
理由はありませんね。
例えば、「いや、宇宙の大いなる意思が働いているんだ」と考えたとしましょう。
それも1つの「考え」であって、現象の1つです。
それが「なぜ」起こるのかは、知りようがありません。
我々にわかるのは、あらゆる出来事が「ただ起こっている」ということだけです。
それがごく正直に、事実を見たときに言えることです。
「私が右手を上げようと思ってそうしたから、右手が上がった」
ではなぜ右手を上げようと思ったのでしょうか。
最終的には何もわかりません。
ただ起こったとしか言えません。
なぜ起こったかの解釈も、ただ起こったとしか言えません。
つまり、コントロールは不可能です。
コントロールしているという感覚すら、ただ起こっています。
このブログを書くこと、そしてこのブログを読むこと、それすらただ起こっています。
どこまでいっても、ただ起こっています。
「やっている」という感覚も、ただ起こっています。
つまり、我々は何もやっていないのです。
事実を正直に見ると、そういうことになります。
我々は何もやっていない、物事はただ起こっている、そういうことです。
あなたの見た感じはいかがでしょうか。
これについて何か意見はありますでしょうか。
その意見は、あなたが考えたのでしょうか、それともただ起こったのでしょうか。
…
物事がただ起こっているのなら、我々にはもうやるべきことはありません。
ただ起こっているのなら、やることはもうありません。
せいぜい起こるのを見守ることくらいです。
どうでしょうか、事実において、問題は何もないのではないでしょうか。
問題どころか、何もありません。
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