自らが真実となる

さあ、世の中をありのままに見てみましょう。

今起きている事実、物事、出来事をありのままに正直に、見てみましょう。

そして、何が見えるかを、自分の目で、見てみましょう。

人の意見だとか、世の中の流れなどを忘れて、ただ自分の目だけで、見てみましょう。

 

今起きている出来事は、「それ」でしかあり得ませんね。

ものすごく簡単です。

「それ」以外の何かに見えました?

だとしたらそれは、妄想ですね。

これもまた簡単です。

 

世界は本当にシンプル過ぎて、ぐうの音も出ません。

ぐうの音が出る余地もありません。

あまりにもクリアで明確で、妄想が入り込む余地などありません。

で、あるからこそ、妄想が入り込みます。(笑)

 

ぐうの音も出ないあまりにも興ざめな現実に耐えられず、それが信じられず、いたたまれず、人々は妄想の中へと避難します。

 

やめましょう、それを。

 

妄想へ退避することを、やめましょう。

そして、真実の世界のありのままに、居続けてください。

逃げないでください、そこから。

そこがあなたが真に求めている場所ですから。

 

 

想像と違う?

そうでしょうとも。

甘い蜜のような体験でも、至福の恍惚でもありません。

あなたが求めているのは、単なる気持ちのいい状態ですか、それとも真実ですか?

気持ちよくなかったとしても、それでも真実を求めますか?

 

傷つくのが怖い。

空しさが怖い。

気持ちよさの中で安穏としていたい。

 

そうでしょうとも。

人間もまた動物ですから、そのように条件づけられています。

でも、あなたが本当に真実を求めるなら、傷つくことを恐れてはいけません。

人間を超えるためには、人間なる動物であることをやめなければいけません。

 

実際、傷つくことは、そんなに恐れることではありません。

痛い、つらい。

そうでしょう。

でも逆にそれだけです。

 

そして楽しいことや嬉しい経験。

それもまた、楽しい、嬉しい。

ただそれだけです。

 

経験は全て、「ただそれだけ」です。

それを必要以上に大きく見せたり、違ったものに見せてしまうのが、妄想の力です。

 

 

妄想の中でオロオロするのではなく、リアルの中でじっとしていてください。

それはこの世で一番簡単なことです。

「何もしない」ほど簡単なことはありません。

誰にでもできるし、いつでも、どこでもできます。

 

そこが真実です。

それ以上どうこうしようがない場所。

そこでしかない場所。

そこが真実です。

 

真実を体感してください。

真実は学ぶものではなく、体感するものです。

人から教えられるものではなく、自らがリアルに体感するものです。

 

真実はいつでも、そこにあります。

なかったことなど、ありません。

あなたはいつでも、そこにいます。

ただいつも、目を背けているだけです。

 

いつも外に向いていた目を、180°回転してみましょう。

いつも外をキョロキョロしていた目を180°回転し、内を見ましょう。

真っ直ぐに自分の中心を見ましょう。

全ての中心、距離ゼロの自分。

そこは何でしょうか。

 

恐れも期待も忘れてください。

ただストレートに、直截に、ありのままを見ましょう。

誰の言うことも聞かず、妄想を信じず、世間の意見は忘れて、あなた自身の真実を、あなた自身の真実によって、見ましょう。

 

真実を見ることができるのは、真実の目だけです。

虚心坦懐に曇りのない目で見るからこそ、虚心坦懐で曇りのない真実が見えます。

 

つまり、あなたが見ているのは、あなた自身です。

あなたがそこに真実を見るならば、その時あなた自身が真実です。

あなたは真実そのものです。

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