心の内にある力の働き

みなさん夢を見ますね。

楽しい夢、美しい夢、愉快な夢。

あんなふうだったらいいな、こんなふうだったらいいな、と。

 

なぜそんな夢を見るのか。

なぜないものが、あたかもあるかのように見えるのでしょうか。

 

それは「ある」からですね。

あるから見えるのです。

 

目に見えるものだけが見えるわけではありません。

目に見えないものも見えるのです。

いやむしろ、目に見えないからこそ、逆に見えるということもあります。

 

心の中に生きていた、思い出の場所を訪ねてみると、「あれこんなんだっけ」と拍子抜けすることがあります。

それは、心の中にありありと見えていたビジョンが、現実の光景に勝っていたということですね。

 

 

それは「信じる」ということとは、また違います。

「信じる」は目に見えないからこそ、信じるものです。

 

しかし、「見える」は、文字通り見るのです。

心の内に、ありありと。

 

見えているものを信じるということはありません。

何しろ見えているので。(笑)

 

信じるとは、見えないからこそ、信じるものです。

「見える」は、信じるというよりも「知っている」に近いものです。

 

 

それこそが真実です。

肉眼に見える現実ではなく、心の目で見ているビジョンこそが、真実です。

 

なぜなら、あなたが心惹かれるのは現実ではなく、心の中のビジョンだからです。

そちらの方へと引かれる力が働いている、自然とそちらに惹かれる。

この「自然力が働いている」というのが、その証拠です。

 

あなたは現実に心惹かれますか? それとも心に描いたビジョンに心惹かれますか?

 

一般的に人は、ビジョンではなく現実の方に重きを置きます。

現実のほうが力を持っているのです。

現実に力を預けてしまっているのです。

 

肉眼に見える現実に力を預けていると、現実は一生変わりません。

今あるその現実を最大限とみなしてしまえば、その地位は最大限のままです。

 

現実を変えるとは、力点の変更です。

 

今まで現実の方に置いていた力点を、心の中のビジョンへと変更することです。

 

 

なぜ人は美しいものが好きなのでしょう。

なぜ人は楽しいことが好きなのでしょう。

 

「好き」という感情。

そちらに引かれるという引力。

 

それは文字通り「」です。

心の中に力が働いているのです。

好きなものには引力が働き、嫌いなものには反発力が働きます。

 

物理学の「力」と同じです。

心にも力が働いています。

 

好きなものから離れるには、その引力に抗するだけの力が必要になります。

また、嫌いなものの側に居続けるには、反発力に抗するだけの力が要ります。

 

つまり、自然力に逆らうということは、それだけのパワーを消費している、ということです。

何もしていなくても、自然力に逆らっているという時点ですでに、パワーを消費しています。

 

「疲れる」ということは、自然力に逆らうことから、起こります。

自然力に従っていれば、疲れるということは、ありません。

 

自然力に従う、ということがすなわち、「うまくいく」ということです。

 

努力でもなく、体力でもなく、知力でもありません。

個人的な力ではなく、すでに働いている力です。

 

それを最大限生かす、ということが、うまくいくということです。

 

 

夢。

ビジョン。

心の内に見えるもの。

 

それは自然力です。

「これが好き」という引力です。

そのとき力が、自らの内に働いています。

 

その力への抵抗をなるべく無くすこと。

自然の引力に従うこと。

これがすなわち、うまくいくということです。

 

抵抗を起こさないという意味では「しない」。

引力に従うという意味では「する」。

 

「何もしないのがベスト」と言われたり、「行動しないと何も変わらない」と言われたりするのは、どちらの見地から言っているのかの違いです。

抵抗側から言うと、しない。

引力側から言うと、する。

そういうことです。

 

抵抗せずに、引力に従ってやるべきことをする。

そういうことです。

 

言葉に囚われると、本質を見失います。

言葉の指示に従うのではなく、力の指示に従いましょう。

内なる力を感じ、そのベクトルに従うだけです。

 

結局ものを言うのは「力」です。

見ている現実でもなく、誰かの言葉でもなく、現に、実際に、今この場に働いている「力」です。

 

力を見極めましょう。

そして力を利用しましょう。

 

物理の法則は、心においても働いています。

うまくいく、いかないは結局「法則」なのです。

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