みなさん夢を見ますね。
楽しい夢、美しい夢、愉快な夢。
あんなふうだったらいいな、こんなふうだったらいいな、と。
なぜそんな夢を見るのか。
なぜないものが、あたかもあるかのように見えるのでしょうか。
それは「ある」からですね。
あるから見えるのです。
目に見えるものだけが見えるわけではありません。
目に見えないものも見えるのです。
いやむしろ、目に見えないからこそ、逆に見えるということもあります。
心の中に生きていた、思い出の場所を訪ねてみると、「あれこんなんだっけ」と拍子抜けすることがあります。
それは、心の中にありありと見えていたビジョンが、現実の光景に勝っていたということですね。
…
それは「信じる」ということとは、また違います。
「信じる」は目に見えないからこそ、信じるものです。
しかし、「見える」は、文字通り見るのです。
心の内に、ありありと。
見えているものを信じるということはありません。
何しろ見えているので。(笑)
信じるとは、見えないからこそ、信じるものです。
「見える」は、信じるというよりも「知っている」に近いものです。
…
それこそが真実です。
肉眼に見える現実ではなく、心の目で見ているビジョンこそが、真実です。
なぜなら、あなたが心惹かれるのは現実ではなく、心の中のビジョンだからです。
そちらの方へと引かれる力が働いている、自然とそちらに惹かれる。
この「自然力が働いている」というのが、その証拠です。
あなたは現実に心惹かれますか? それとも心に描いたビジョンに心惹かれますか?
一般的に人は、ビジョンではなく現実の方に重きを置きます。
現実のほうが力を持っているのです。
現実に力を預けてしまっているのです。
肉眼に見える現実に力を預けていると、現実は一生変わりません。
今あるその現実を最大限とみなしてしまえば、その地位は最大限のままです。
現実を変えるとは、力点の変更です。
今まで現実の方に置いていた力点を、心の中のビジョンへと変更することです。
…
なぜ人は美しいものが好きなのでしょう。
なぜ人は楽しいことが好きなのでしょう。
「好き」という感情。
そちらに引かれるという引力。
それは文字通り「力」です。
心の中に力が働いているのです。
好きなものには引力が働き、嫌いなものには反発力が働きます。
物理学の「力」と同じです。
心にも力が働いています。
好きなものから離れるには、その引力に抗するだけの力が必要になります。
また、嫌いなものの側に居続けるには、反発力に抗するだけの力が要ります。
つまり、自然力に逆らうということは、それだけのパワーを消費している、ということです。
何もしていなくても、自然力に逆らっているという時点ですでに、パワーを消費しています。
「疲れる」ということは、自然力に逆らうことから、起こります。
自然力に従っていれば、疲れるということは、ありません。
自然力に従う、ということがすなわち、「うまくいく」ということです。
努力でもなく、体力でもなく、知力でもありません。
個人的な力ではなく、すでに働いている力です。
それを最大限生かす、ということが、うまくいくということです。
…
夢。
ビジョン。
心の内に見えるもの。
それは自然力です。
「これが好き」という引力です。
そのとき力が、自らの内に働いています。
その力への抵抗をなるべく無くすこと。
自然の引力に従うこと。
これがすなわち、うまくいくということです。
抵抗を起こさないという意味では「しない」。
引力に従うという意味では「する」。
「何もしないのがベスト」と言われたり、「行動しないと何も変わらない」と言われたりするのは、どちらの見地から言っているのかの違いです。
抵抗側から言うと、しない。
引力側から言うと、する。
そういうことです。
抵抗せずに、引力に従ってやるべきことをする。
そういうことです。
言葉に囚われると、本質を見失います。
言葉の指示に従うのではなく、力の指示に従いましょう。
内なる力を感じ、そのベクトルに従うだけです。
結局ものを言うのは「力」です。
見ている現実でもなく、誰かの言葉でもなく、現に、実際に、今この場に働いている「力」です。
力を見極めましょう。
そして力を利用しましょう。
物理の法則は、心においても働いています。
うまくいく、いかないは結局「法則」なのです。
コメント