私たちは答えをどこかに探しに行きますが、答えは静寂の中にあります。
私たちが「答えがある」と思っている場所には答えはなく、答えがあると思っていない場所に、答えはあります。
静寂の中に、答えがあります。
答えとは、誰かの意見でもなく、誰かの考えでもありません。
それは自分のものです。
何もない静寂こそが自分自身であり、それが全てです。
静寂の中にとどまる時、それは「何もない」という気楽さがあります。そしたまた「何でもいい」という気軽さもあります。
静寂は安楽です。
そしてまた静寂は、パワーの源です。
何でもいい時、「それでいい」に対して何の躊躇もない時、最大限のパワーが発揮されます。
何のストップする要素もない時、フルスピードで物事は流れます。
静寂は全ての始まりにして、それが全てです。
静寂へと赴き、それを感じたならば、それはそうなのです。
その感覚を感じたならば、それはそこにあるのです。
現実に物事が起こる必要があるでしょうか? それはもうすでに、そうなのに。
現実という重い塊を、敢えて動かす必要があるでしょうか。こんなにも自由に空を舞うことができるのに。
現実という重くて硬い塊に、敢えて立ち向かう必要はありません。
放っておいて自由に空を舞えばいいのです。
現実逃避、とか言いたいですか?
もちろん、それを言うのは自由だし、飽くまで現実に取り組み続けるのも自由です。
それを選択するということを、誰も止めはしません。
現実とは取り組むべきもの、とは誰が決めたのでしょうか。
誰も決めはしません。その人が勝手にその方針を採用しているだけです。
かように事実は自由です。誰もその自由から逃れることはできません。
不自由を選択することさえも、自由です。
本当はどうしたい?
体裁も外聞も捨てて、本当の自分はどうしたがっている?
カッコつけることも、誤魔化すこともやめて、本当に自分がしたがっていることは何なのか。
実際にそれをやるとかやらないとか、できるとかできないとかではなく、単純にそれを知ること、本当の自分の声に耳を傾けること。
これは本当に嬉しいことです。
自分の本心を自分に知ってもらえた嬉しさを、あなたも実際に感じることができるでしょう。
「感覚」が全てです。
感覚を得るために現実を動かす必要はありません。
全ては自分が知っていて、ただその声に耳を傾けるのみです。
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