固定観念、というものがありますね。
「これはこうである」とか、「こうであるべき」と思い込んでいることです。
それはあまりにも当たり前すぎて、それが固定観念であると想像すらできません。
会社には毎日出勤するもの、まわりには愛想よく接するもの、ご飯は一日三回食べるもの。
葉っぱが緑なように、空が青なように、それはあまりにも当たり前すぎて、省みる発想すらありません。
「苦しい」というのは、だいたいその固定観念と、自分本来の衝動とのミスマッチです。
したいようにしていれば、苦しいとかないはずですよね。
したいようにできないのはなぜかというと、固定観念が自由な動きを規制しているからです。
…
じゃあ固定観念を取っ払えばいいのかといえば、そういう話でもありません。
固定観念は取っ払うのではなく、無視するのです。スルーです。
そんなものはどうでもいいのです。
固定観念は、取り除くべきやっかいなもの、ないほうがいいもの。
そういう態度で接すると、それはその通り、やっかなものになります。
そんなものは無い前提。
どうでもいいし、相手にもしない。
その時それは、ありません。
「相対する」
これは疲れます、単純に。
問題に取り組む、やらなきゃいけないことをやる、正解に合わせる。
これらは疲れます、単純に。
疲れたいですか? といったら、疲れたくないですよね。
だから疲れない方法でやるという、ただそれだけの話です。
…
そして、「疲れる方法でやるべき」というのがまさに、固定観念の一つです。
疲れれば疲れるほど、やった気になれる、疲れれば疲れるほど、効果がある気がする。
頑張れば頑張っただけ、結果が良くなる。
苦しければ苦しいほど、未来は明るい。
これがいわゆる固定観念です。
要するに思い込みです。
それは事実ではなく、ただ単にそう思っているだけ、という話です。
このように、気づかない固定観念がたくさんあります。
我々がやるべきは、それらに対処することではなく、それらがどうであるかに関わりなく、シンプルに自分の行きたい方向に行く、ということです。
それらに取り組むのではなく、それらを抱えたまま、それらを身にまとったまま、それらを引きずったまま、単純に自分の行きたい方向に歩いていくということです。
他人が私の邪魔をするんだと、状況が私の行く手をさえぎるんだと、思わず取り組みたくなるでしょう、それらに。
それらを何とかしなくては前に進めない気がするでしょう。
しかしもうお分かりの通り、それらも固定観念です。
単なる思い込みです。
他人や状況は関係なく、あなたはあなたのやりたいようにすればいいし、実際そうできるのです。
つまり、我々は本来、自由なのです。
何をやってもいいし、どうでもいいのです。
…
「本来に還る」
つまり、我々がやろうとしていることは、それです。
あらゆる束縛から抜け出し、本来に還る。
その時、束縛に相対して剣を振るったり対策を練ったりするのではなく、ただ単に、自分の行き先に向かって歩いていく。
それが本来のやり方です。
敵に対して喧々諤々剣を振るっている時、あなたはちっとも前に進んでいません。
よく考えてみてください。
あなたは問題に取り組んでいる時、ちっとも前に進んでいないのですよ?
斬っても斬っても敵は次々と現れ、キリがありません。
つまり、永遠に前には進めません。
相手にしなさんな。
それらはほっといて、前に進みましょう。
「いや、敵の相手をしないと、こっちが斬られる」
なら斬られましょう。
斬られてもいいじゃないですか。
一体何を守っているんです?
斬られてまずいものって何ですか?
驚いたことに、斬られてまずいものなんて、何もありません。
自分は何も持ってないのです、斬られてまずいものなんて。
あなたが斬られてまずいと思っているもの、それこそが固定観念です。
「これは斬られるとまずい」と思い込んでいるものが、固定観念です。
つまり、堂々巡りです。
固定観念が固定観念の相手をし、観念上の戦いを繰り広げています。
観念の上で観念的なバトルが繰り広げられています。
リアルを見て!リアルを。
観念じゃなく、事実を見てください。
あなたはただ、自分の行きたい方向に行けばいいという、それだけです。
観念の中にいれば、観念がリアルとなり、観念上のリアルを生きることになる。
でありますから、あなたのそれは観念であると承知してください、まず。
あなたがリアルと思っているそれは、観念です。
あれも観念、これも観念、全部観念です。
じゃあリアルは一体何?となった時、それは、それ以外のものです。
全部観念なら、全部以外のものです。
「全部以外のものって何?そんなもの無いじゃん」と、こうなりますが、はい、リアルは「無い」のです。
つまり「無」こそが、リアルです。
無であるなら、何でもできますね、つまり自由です。
そこに束縛はありません。
リアルとはつまり、自由です。
自由である時あなたは、何をします?
ただ単に「それ」をするだけですね。
ただ単に、行きたい方向に行くだけですね。
どこにでも行けるし、何でもやれる。
それがつまり、真のリアルです。
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