本当の幸せというものは、何にも拠らないもののはずです。
おいしいものを食べた、欲しかったものを手に入れた。
そういう幸せは、「おいしいもの」や「欲しかったもの」に拠った幸せです。
それは本当の幸せというよりも、「一時的な快感」です。
本当の幸せは、何にも拠らないはずです。
「何もなくて幸せを感じることができるのか?」
いや逆に、何にもないからこそ、幸せを感じることができます。
何もない状態が、幸せです。
何もない時、そこにあるもの。
それが幸せです。
だから、本当の幸せを得ようと思ったら、全てを無くすことです。
何もない時、喜びがそこにあります。
それは会社で昇進した喜びとか、臨時ボーナスをもらった喜びとはまた全然違います。
本当に何もない時、喜びがすでにそこにあります。
何かを得て、それについての反応としての喜びではなく、何もない時にもともとある喜び。
それが本当の喜びです。
「もともとあるもの」
それが本物です。
もともとある幸せ。
もともとある喜び。
もともとある自由。
「もともと」なるものを得ましょう。
本物を得ましょう、どうせ得るなら。
本物以外では、結局のところ真の満足を得ることができないのですから。
…
本物以外は「その時」だけで終わります。
だから常に追っかけてないといけません。
99%の追っかけと、1%のゲイン。
それが一般的な状態です。
快楽というものは長続きしません。
お金を使う快感は麻痺し、美食の快感も麻痺します。
同じ快感は続かないのです。
常に新鮮な快感を供給し続けないと、感じ続けることは無理なのです。
つまり、快感を持続させることは不可能なのです。
快感は持続しないものです。
快感はずっと続いたら、それが普通になってしまい、すでに快感じゃありません。
昔の快感はもはや今の快感ではありません。
つまり、今までのやり方では本当の幸せには到達できないのです。
「得る」のではなく、「無くす」。
何かに「拠る」のではなく、何にも「拠らない」。
それこそが、本当に向かうべき場所です。
あれが欲しいこれが欲しいと外に向いていた意識を、内に向け直します。
得ようとすることをやめ、しようとすることをやめ、何もしない。
掴んでいた感情、執着、悶着。
それら全てを捨て、どうこうしない。何も得ようとしない。誰かに頼ろうとしない。何もしない。
落ち着いた場所。何もない場所。
本来そうである場所。
何もないけど、何かがあります。
もともとのもの。
自然とそうであるもの。
もともとそうであった状態。
何も要らないはずです。
当たり前に、何も要らないはずです。
すでに満ちています。
すでに満ち満ちています。
何もないは、何もないじゃありませんでした。
何もないに、全てがあります。
何もないからこそ、全てがあります。
何かを得るために、何もないを「得る」のではありません。
何かオトクだからそうするのではありません。
利害関係の「利」の選択ために、そうするのではありません。
それが自然だから、そうするのです。
川は上流から下流に流れるのが自然だから、そうなっています。
我々は真実に生きるのが自然だから、そうするのです。
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