スピリチュアルな探求は、「探求をやめたときに、求めていたものが見つかる」と言われます。
それはある意味真理です。
でもこの言い方だと、逆に難しく感じられる場合もあるでしょう。
「探すからこそ見つかるんじゃないのか」って。
素晴らしい世界の可能性を知ったなら、それを探さずにはいられません。
大いに探せばいいと思います。
探して探して探しまくったらいいと思います。
探求をやめたときに探していたものが見つかるのなら、どうやって探求をやめるかを大いに探求したらいいと思います。
せずにはおれないのなら、素直にその衝動に従ったらいいと思います。
…
問題はその「場所」です。
どこを探すかという「場所」です。
無いところを探しても、それは見つかりません。
ですから探求をするなら、「どこにそれがあるか」を最初に知らなくてはいけません。
では一体どこにそれがあるのでしょうか。
それは「事実」の中です。
おそらく皆さんが探しているのは、スピリチュアルなティーチャーの中にでしょう。
有名無名、様々な人が、スピリチュアルなメッセージを発信しています。
そのメッセージの中に、あなたは探しているものを見つけようとします。
でも、そこにはありません。
そのメッセージは、旅行ガイドのようなものです。
現地をどのように巡るかのガイドです。
ガイドの中に旅行はありません。
旅行は現地にあります。
すなわち、
あなたが求めているものは、「現地」にあります。
ガイドの中ではありません。
実際にそこに行かなくてはならないのです。
でも多くの人が実際にやっているのは、どこにも行かずに部屋の中で旅行ガイドを調べることです。
探す場所が違うのです。
ガイドを読んで現地の巡り方がわかったなら、さっさと現地に行きましょう!
いつまでも旅行ガイドを眺めていても、そこにあなたの求めるものはありません。
…
現地とはすなわち「事実」です。
あなたが求めているものは、事実の中にあります。
事実ってなにか?
「いま現にそうである様」です。
よくスピリチュアルなティーチャーは「探しているものは、いつでもここにあった」などと言います。
その「ここ」が、いま現にそうである事実です。
そこをとことん探求してみようではありませんか。
それがわかることをよく「一瞥体験」などと言います。
でも、一瞥じゃなくていいですよね。
ずっとそれを見据えていればいいではありませんか。
止むにやまれぬ探究心があるなら、常に事実を見据えていればいいのです。
いま現にそうであること(=いまここ)に真理があると、どのティーチャーも言っています。
では素直にそこを探求してみましょう。
とことん、本当のことを探ってみましょう。
一瞥も覚醒もいりません。
事実をあなたの目で確かめたらいいのです。
「本当にそれはそうなのか?」と。
人の言うことを鵜呑みにするのではなく、何か体験を期待するのでもなく、ただ単に、あなた自身で、事実を調べればいいのです。
真理を見つけるのは、あなたがあなた自身で見つけるのです。
誰かに与えてもらうものではありません。
人に期待するのではなく、自分に期待しましょう。
事実をただ素直に、虚心坦懐に見て、本当のことを言いましょう。
心の底から本当のことを言ってみてください。
心の底からの本当のこと、それがすなわち真実です。
あなたの中に眠っている真実を引き出してください。
あなたの中の「本当のことを言う力」を引き出してください。
本当の本当の本当のことを、とことん探ってください。
探求のエネルギーは、それに使いましょう。
「探求をやめたときに、求めていたものが見つかる」というのは、「探求=違う場所を探すこと」という前提で話されています。
「あなたが探しているのは違う場所ですから、それをやめてください。そうすれば真理が立ち現れますよ、なぜなら真理はもともとそうであるものだからです」
と、いうことです。
しかし、探そうとする衝動が起こってしまうなら、それはしょうがありません。
起こってしまうものはしょうがありません。
やめようと思ってやめられるものでもありません。
ならばその衝動を生かしましょう。
正しい場所を探せばいいのです。
その正しい場所が「事実(いまここ)」です。
旅行ガイドといつまでもにらめっこしていても、旅は始まりません。
さあ今スグ、現地へ出かけようではありませんか!
その探究心を遺憾なく発揮して、事実をとことん調べてみてください。
そして本当のことを言ってください。
一瞥でも二瞥でもなく、ずっと見続けていてください。
ついにあなたの探究心は、事実の中に真理を見抜くことでしょう。
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