問題解決について

問題が解決する時って、具体的な事が起こって、具体的にその状況が変化することによって解決する、というよりも、問題が問題で無くなることによって結果的に解決してしまう、というのが本当な気がしています。

まあ例えば恋人にフラれたのが問題であるとしたら、また再びもとのように付き合うことが解決ではなく、そんなこと忘れてしまう、あるいは、そんなこと何の問題とも思っていない、というのが、本当の解決ではないかと思うのです。

皆様もあるいは色々な問題を抱えたり、色々な悩みがあったりするかもしれません。そしてそれらを解決したいと望んでいるかもしれません。

しかし、その「解決したい」と望み、それにコミットすることがすなわち、その問題を解決から遠ざけているというパラドックスがあるとしたら、どうでしょうか。

その問題に取り組み、向き合い、真剣に対峙すればするほど、その問題は問題としての立場を強化します。

逆に、そこから離れ、ぼかしていき、最終的には忘れてしまう。

そしたらどうでしょうか。

もはや問題はありませんね。

視界から消え、意識から消え、そんなことがあったことさえ忘れてしまう。

そんなものはもはや「問題」とは呼べません。

 

つまり、「逆」なのです。

我々が問題解決において取るべきアクションは、そこに向かってく、フォーカスする、真剣に向き合う、のではなく、離れていく、霞ませていく、忘れてしまう、という方向です。

普通に取ってしまうしまう行動と真逆です。

 

とはいえ、それは簡単なことではありませんね。

「意識しないようにと思っても、気がついたら考えてしまう」

これが普通だと思います。

ですから、コツが必要になってきます。

このコツを実践できたら、問題は解決してしまうのではないでしょうか。

 

それは何かというと、我々の意識は、一つのことしか意識できないということです。

何かを考えている時に、他のことを考えることはできません。

色々なことを考えている、という場合も、実際のところそれは、短い時間で考える内容をパッパッと切り替えている、ということです。

どうでしょうか、同時に二つのことを考えることができますか?

意識というステージに上がることができるのは、一人です。

誰かをステージに上げようと思ったら、今いる人には降りてもらわなくてはなりません。

この仕組みを利用します。

つまり、問題以外を意識というステージに載せ続けておく、ということですね。

楽しい君や嬉しいちゃんが意識上にある時、同時に問題さんも常にステージ上にいるとしたら、それこそ問題です。

ステージ上にいることができるのは、必ず一人です。

その一人を誰にするのか。

そう、選べるのは私たち自身です。

舞台監督は私たち自身です。

自由にキャスティングしていいのです。

 

意識という舞台は、文字通り独壇場です。

今、その舞台に立っている人の独壇が、頭の中に繰り広げられています。

自由に選べるなら、そこに誰を立たせますか。

あえて嫌なものを立たせますでしょうか?

あるいは嫌なものがそこにいるとしたら、あえてそのまま立たせ続けますでしょうか?

 

「くせ」とか「慣れ」というものがありますから、嫌なものを常に載せ続けてしまうという癖もあることでしょう。

しかし癖は、意識することによって別な癖に変更することができます。

そうです、問題解決に努力を払うとしたらそれは、問題自体を解決しようと努力するのではなく、問題以外を意識に載せようと努力する、ということです。

問題を取り込むのではなく、問題を追い払うのです。

考えてみれば当たり前な話かと思います。

もちろん、問題を現実的に解決することにこだわりがる人や、問題に取り組むこと自体が好きな人もいるでしょうから、全員に参考になるわけではないと思いますが、参考になる人は参考にしてみてください。

 

あと最後に、なぜか思い出したのですが、ボクサーの井上尚弥のお父様の著作に、自分があまり勉強好きではなかったことの逸話として

りんごが二つあり、十五人の友達がいます。仲良く食べるには何分割したらいいですか、みたいな問題に、食いたい奴がくえばいいだろ、俺はいらねえよぉー、と思っていました。

努力は天才に勝る!(講談社現代新書)より

という記述があり、この発想はすごいなと驚いたのですが、それはなぜかというと、「これが現実だよね」と思ったからです。

我々は知らず知らずのうちに、いかに枠にはまっているのかと思い知らされた次第です。

分割する、以外の選択肢があるだろうと。現実においては発想は無限大だろうと。

 

我々は反射的に、問題があるとしたら「どう取り組むか」「どう解決するか」という方向に頭が向きますが、ちょっと待てよと。本当にそうなのかと。本当に問題って解決しなきゃならんのか、と。本当にりんごは分割しなきゃならんのか、と。

私は最終的に、この「ちょっと待てよ、本当にそうなのか」というスタンスこそが、最も肝なのではないかと思っています。

 

 

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