世界を創造する原理

このブログでは「こうするといいんじゃないでしょうか」的な提案をよく書いているわけですが、そうすると、「あ、じゃあそうしないとダメなんだ」とか「じゃあがんばってそうしよ」という風に、しなければならない化してしまうことが、よくあります。

しかし、そのような義務感を感じた時点で、すでにそれは楽しくないわけです。

よし!楽しい人生にするぞ!と意気込んで始めたそれは楽しくない作業、みたいな、「あれ?」ということになりかねません。

 

その根底にある気持ちは何かというと、「不安」とか「恐れ」です。

「書いてある通りにやらないとうまくいかないんじゃないか」とか「絶対うまくいかせたいから頑張る」みたいな、間違えると恐ろしいことになる、みたいな感覚。わかります?

恐れを原動力として取り組んでいる、ということです。

 

ここで見てほしいのは、その原動力である「恐れ」の部分です。

何をやるか、とか、どうやるか、みたいな表面の部分ではなく、どういう気持ちでそれをやるか、という根底の部分です。

 

 

「何をやったらいいんですか」と皆さんは聞きますね。

しかし、何をやるかは問題ではないのです。全く。

どういう気持ちか、が100%です。

100%です。

 

95%でも99%でもなく、100%です。

 

なぜなら、認識が全てだからです。

世界は、「こうである」と思っているから、そうなのです。1ミリのズレもなく。

世界とは、あなたが「こうである」と思っている、その通りの世界です。

あなたが「そうだと思っている」通りの世界が、そこにあります。

 

世界とは恐ろしい場所だと思っている、その通りの場所がそこにあります。

なんか今日は楽しいなという、その通りの今日が、そこにあります。

なんか空しい日常だなと思っている、その通りの日常が、そこにあります。

1ミリのズレもなく、まるっきりそのまんまが、そこにあります。

 

恐れを原動力として行動した場合、何をやったとしても、結局それは「恐れ」です。

どんなに楽しそうなフリをしても、結局それは「恐れ」です。

どんなに強がっても、どんなに平気なフリをしても、それはまぎれもなく「恐れ」です。

 

改善したいのは、その根底にある「恐れ」ですね?

何をやるかは関係ないですね?

なのに「何をやるか」にこだわっていますね?

 

みなさん簡単に「何をやったらいいですか」と聞きます。

そして実際に何かをやりたがります。

しかし、何をやるかは全く関係ありません。

 

0%です。

「何をやるか」は0%です。

0%に専心している、ということに気づいてください。

 

0%に専心しているとはどういうことですか?

100%ムダなことをしている、ということですね。(笑)

いや、笑えないです。

こんなウソみたいな話が本当だから驚きです。

あなたの人生が何も改善されてないとしたら、それは100%ムダなことをしているからです。

納得できました?

 

 

じゃあ本来気づくべきことは何でしょうか?

本心、ですね。自分の本心です。

本当は何を思っているのか」を把握する、ということです。

 

本心はごまかすことができません。

思っている通りの世界が、そこにあります。

世界が窮屈で、イヤな場所だとしたら、あなたの本心は窮屈でイヤだと感じているということです。

それを無理やり明るくしよう!とか楽しくしよう!と、一生懸命がんばっても、そうはなりません。

「やること」は関係ないからです。

 

心を置き去りにしたまま行動に走っても、なんにも変わりません。

なぜなら心が全てだからです。

思っていることが全てです。

そうだと思っている通りの世界がそこにあり、それ以外は何もありません。

 

 

思うを変更する。

 

やっとここまでたどり着きました。

それしかないという、それ。

「思っていること」

 

思っていることを変更するなんてできるのか?

という質問の前に、あなたはどうありたいですか? 何が希望ですか? なにが望みですか?

どうありたいと思っているかすらわかりませんか?

どうありたいとも思ってないとしたら、今のままで問題ないということですね。

じゃあそのままでいいですね。

 

いやいや、「どうありたい」はありますね。

どうありたいと思っていて、今はそれとは違うから、問題を感じているわけですね。

だから必ず「どうありたい」はありますね。

 

その「どうありたい」という希望を認識してください。

自分は「こうありたいんだ」と思っているそれを、認識してください。

よくよく認識してください。よくよくです。

その希望をよーく認識してください。

よーく認識したなら、その時に感じている感覚に気づいてみてください。

自分のこうありたいという希望を認識している時に感じている感覚です。

 

どういう感覚ですか? それは。

それは、そうでありたかった感覚ですね?

そうでありたいと望んでいた感覚ですね?

あなたは今、自分の欲しかった感覚を感じていますね。

それは何かの「行動」の結果ではありませんね?

何かを頑張ったから、その結果として、こういう気分を味わっている、というわけではありませんね?

 

つまり、逆、なのです。

物理的な物事によってそういう気分がもたらされるのではなく、そういう気分の結果として物理的な物事がもたらされます。

「気分」が先です。

 

いえ、もっと言うなら、気分を先にしてしまえよということです。

物理的な物事によって、気分がもたらされ、その気分によってまた同じ物事がもたらされるという無限ループをどこで断ち切るのかといったら、気分を変えることによってです。

気分を変えれば、現実が変わります。

なぜなら、1ミリのズレもなく、思っていることが現実だからです。

 

現実が変わらないといって、現実に直接手を下しますか? その同じ気分のままで??

気分が100%現実を作っているというのに、その気分を無視して現実を変えるっていうのですか????

ウソでしょ?(笑)

 

冷静に仕組みを判断してください。

もう一回、ゆっくり、冷静に、状況を見てください。

 

世界は認識が作っていますね? それは間違いないですね?

「いや、認識ではなく、~によって作られている」という主張も、それも認識ですね。

100%認識ですね。

じゃあ、認識を変えれば世界が変わりますね。

 

「何を感じているか」が変われば、世界は変わりますね。

やることを変えるから世界が変わるのではなく、感じていることが変わるから、世界が変わりますね。

逆に言うと、感じていることが同じまま、やることを変えても、何も変わりませんね。

 

あなたは何が希望ですか? どうなったら万々歳ですか?

どうなったら、万々歳ですか?

ありますね? 何かが。

何もないならもうハッピーということですから。

 

その何かを「認識」してください。ハッキリ、クリアに、ありありと。

「認識」してください。それが「そうである」と。

それが そうである と、認識してください。

 

認識によって世界は作られます。

それがそうであると認識したなら、それはそうなのです。

 

はい、もうあなたにとっての世界は出来上がりましたね。(笑)

 

おもしろいでしょ? クリエイションて。(笑)

おまえは神様かっ!てツッコみたくなりますが、それが事実ですから、事実とは恐ろしいものです。

我々の事実認識は、あまりにも事実とかけ離れていました。

事実をその通りに見たならば、それは今まで私たちが事実と認識していた内容と、あまりにもかけ離れています。

 

全ては事実が語っているのです。

我々は虚心坦懐にその言葉に耳を傾けるのみです。

 

 

コメント

  1. ポッポ より:

    はじめまして。
    あまりにも楽しくて素敵なブログで感激しています!

    「苦しいからラクになりたい」と思う世界では、何年経っても「苦しいからラクになりたい」でした(笑)

    「この世界は生き地獄だ」は、ずっと「この世界は生き地獄」でした。

    そのことにハッと気がついて、何もない真っ白になったんです。
    そもそも何もないんだと立ち尽くしていました。

    「悟りたい」も「死にたい」も、いつまでも変わらなかった。
    何もないから、思ったそのまんまなんだと。

    え?もしかして、わざわざ苦しんでたの?って夢から覚めたような感覚でした。

    ラクになりたいなら、いまラクを感じる。安心したいなら、いま安心を感じる。ただそれだけのことだったの?
    あんなに苦労しながら苦しみ続けたのに…( ; ; )

    そんな時に、こちらのブログと出会いました。
    ああ、それでいいよって返してくれたようで嬉しくなり、更に安心しました。
    ありがとうございます。

    長年の苦しみ癖がついてるので、すぐに引き戻されてしまいます。
    何もないから自由自在なんですね。
    今ホッと安楽を感じるリハビリ中です
    ( ´͈ ᵕ `͈ )

    100%ムダなことをしてました( ;∀;)笑

    • こーへ より:

      こんにちは、コメントありがとうございます。
      いやホントそれな!っていう感じです。(笑)
      あまりにもダイレクトすぎて、逆にビビるっていう。

      「そうだから、そう」
      なんの回り道もなく、あまりにも直截に、あまりにもストレートに、それ。
      単純に、そうだから、そう。
      それ以上でも以下でもありません。

      「くどくど考える時点で何かが間違っている」と以前ブログにも書きましたが、人はあまりにもくどくど考え過ぎです。
      考えるからおかしくなります。考えた時点で何かがズレていきます。

      「これはこういうことなんだろうか、あるいはそういうことなんだろうか」
      いやいや、これはこれだし、それはそれ。そのまんまですよ!(笑)
      1ミリも考える必要などありません。

      つまり、苦しみの癖=思考の癖、ですね。
      たとえ引き戻されたとしても、事実を見たら、秒で霧が晴れます。
      「あ、何もない」って。(笑)

      • ポッポ より:

        お返事ありがとうございます。

        これはこれだし、それはそれ。
        確かに…そのまんま過ぎますね(笑)
        しかもタイムラグなし!

        そっか、苦しみの癖は思考の癖ですね!
        ああ〜もう…拍子抜けです(笑)

        何もない…
        この上ない安堵です。
        ありがとうございます。

  2. より:

    こんにちは。

    例えば、仕事は楽しくないを仕事は楽しいと感じてみる。これで認識が変わり、見えている景色が変わるということですよね?

    仕組みはわかったようで…仕事は楽しくないという実際に普段感じてる認識は簡単にかわるものでしょうか?

    毎日その仕事にとりかかると、楽しくないという認識を強く感じてしまうのでは?と読んでいてふと思いました。

    仕組みはわかりますが…それが実際にできるかっていうのは、みんか思う部分に感じます。

    • こーへ より:

      コメントありがとうございます。
      そうですね、きっとそのようにお考えの方も多いのではないかと思います。

      まず仕事のことは忘れてください。
      それがあなたにとって、いちばん大きな要素で、そこをなんとかしたいという気持ちはわかりますが、それは小学生が東大受験をするようなものです。
      無理と思っていることに取り組むのは、無理があります。(笑)

      なので、「できる」と思うことから始めてみてください。
      そしてそれを継続してみてください。
      徐々にできることは増え、気が付いたら仕事のことも克服されているのではないでしょうか。

      • 若林蓮司 より:

        ご返事ありがとうございます。出来ることからですね。

        認識がよいもの、好きなこととかでよいのでしょうか。

        何だか頭でっかちに考えてしまってるかもですが(笑)楽しいことに時間を増やしてみます!

        • こーへ より:

          もちろん、好きなもので、何でも!
          一番大事なのは、「自分がどう感じているか」ですから。

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