世界に問題はありえない

物事は丁寧に見ていけば、必ず解決するはずです。

何が、どうなっているのかを、深く丁寧に見ていけば、必ず腑に落ちるはずです。

 

なぜなら、世界はすでにそのようにあります。

すでにそのようにある、ということは、それでいいからそのようになっています。

 

苦しみ、不具合、不調は、その「それでよさ」に一致しないから、起こります。

なぜ一致しないのかというと、なぜそうなっているのかがわからないからです。

 

なぜそれがわからないのかというと、よく見ていないからです。

落ち着いて、深く丁寧に見れば、自ずと理解できます。

 

 

それは、何も隠されていません。

全ては目の前に、明々白々と提示されています。

 

何も隠されていません。

全ては明確に、クリアに、何の付加も間引きもなく、そのまんまが提示されています。

それがそのまんま、それです。

 

それをストレートに明確に見ることをせずに、もやっと、ぼんやりと、ふわっと、なんとなく見ています。

 

明確に物事を見るのではなく、「ああなってくれればいいのに」とか「なんでこうなのかな?」と、妄想や幻想の中で生きています。

「それがこうであったら」「それがそうなのはオカシイ」「それはつまりこういうことね」と、ズレた見方をしています。

 

いや、それはそれですよ! 見た通りそのまんまですよ!

 

 

なぜ人は事実から目をそらすのか、なぜ事実そのままを見ないのか。

 

それは事実がいやだからですね。

事実が気に入らないからですね。

 

そして事実のほうも、あなたに気に入られようとはしません。

 

このミスマッチ。

 

これが苦しみの源です。

 

「なんだ? 私のほうが事実に合わせなきゃならないのか!?」

いえ、合わせる必要はありません。

ただ、事実がそうであることを認めるだけです。

 

無理に好きになる必要はありません。

ただそうであることを見て、ただそうであると認識するだけです。

 

見ればわかります。

「あ、そうなんだね」って、わかります。

だってそれはそれですから。

 

犬が犬とわかるように、花が花とわかるように、事実が事実とわかります。

それは興ざめなくらい、ストレートで何でもないことです。

 

ただ認めましょう。

それがそうである様を、ただ認めてみましょう。

 

犬が犬であることを、花が花であることを、その状況がその状況であることを、あの人があの人であることを、私が私であることを。

 

問題すらも、認めましょう。

いやな気分も、不調も不具合も、ただ認めましょう。

 

それがそうである様を、ただ認めましょう。

 

 

その「認めている人」は誰ですか?

そんな人はいません。

 

「認めている人」は、概念です。

それすら認識の対象です。

それすら「認められるべきもの」です。

 

ただ「認識」だけです。

あるのはただ、認識だけです。

 

それは「人」ではないし、「何」でもありません。

「認識」が、ただ「起こっている」だけです。

 

わかること、ただわかる1つのことは「認識」だけです。

 

あなたは認識そのものです。 あなたは物ではないし、人でもありません。

あなたは認識です。

 

認識が起こっていることです。

 

認識以外のものがありますか?

事実の中で認識以外のものがありますか?

 

妄想すら認識です。

幻想すら認識です。

 

認識に軽重、高低、貴賎、良否がありえますか?

 

それはもう「何」とは言えないものですよね。

「何」とは言えないそれに、特徴も軽重もありません。

 

「何」とは言えないもの、つまり何でもないもの。

確定できないもの、認識できないもの。

 

 

認識自体を認識することはできません。

 

認識を認識するとは、認識という概念を認識しているのであって、認識自体を認識することはできません。

ただ起こることをひたすら認識しています。

 

「あ痛っ!」「あら~かわいいね」「おお寒っ」「うまい!」

目に映る色や形、耳に聞こえる様々な音、におい、感触、考え、思考、記憶、思い出。

 

世界は認識の中にあります。

 

世界の中に、あなたがいるのではありません。

あなたという認識の中に、世界はあります。

 

認識以外のものはありません。

 

「認識=世界」です。

「あなた=世界」です。

 

世界はただ世界としてあります。

あなたはただ世界としてあります。

 

もはや良いとか悪いとか、そういう話ではありません。

この世界をどうこうしようとか、そういう話ではありません。

世界はただの世界です。 どうこうするものではありません。

 

そうであるものをただそうであると認めるだけ。

 

世界はただ世界です。

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