わかる必要はありません。
そう「なれ」ばいいんです。
わかるからといって、そうなるわけではありません。
わかることとそうなることは、違います。
そうなることは、わかることではありません。
いえ、そうなることは、わかりようがありません。
わかることによってそうなる、という方法は、あきらめてください。
わかることにこだわらないでください。
わかることは捨ててください。
ただ単に、事実を、見ます。
それが何であるか、理解しようとしたり、解釈するのではありません。
ただ、それがそうだと、認めるだけです。
何の変更も加えません。
「理解する」ということは、生のままの事実を、「自分が理解できる形に加工する」ということです。
理解できないと気持ち悪いから、スッキリしないからそうするわけですが、それをやめます。
気持ち悪いなら、気持ち悪いままでいます。
わけのわからない事実、わからなくて気持ちの悪い事実を、そのまま享受します。
真実はわからないものですから、わかるという手段によってモノにはできません。
わからないでOKです。
それで合っています。
わかるということは、自分の腑に落ちるように加工するということですから、それをやめて、全てをありのままに、そのままにしておきます。
そしてその中に、ただ居ます。
ただただ、そこに居るだけです。
何もしません。ただ居ます。
シーンとしています。静寂です。
その静寂に居ましょう。
ただ居てください。
それでいいんです。
それで、いいんです。
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