とても簡単な話

とても簡単な話をしましょう。

簡単、というのは単純に、余計なものを全部取っ払うということです。

余計なものを全部取っ払うと、何が残りますか?

 

余計なものを全部取っ払うと、何も残りませんね。

つまり、ありとあらゆるものは、全部余計なものだったわけです。

全部「別にいらないもの」です。

 

別にいらないものなら、そんなにこだわる必要もありませんね。

あってもなくても、どっちでもいいくらいなもんです。

逆に、どっちでもいいし、何でもいいなら、好きなものでもいいわけです。

 

何でもいいなら、別に変なこだわりも世の常識も関係なく、好きなものでいいわけです。

だって何だっていいわけだから。

 

何でもいいからこそ、好きなもので埋め尽くすことができる。

こだわりがないからこそ、自由に好きなものを選べる。

 

好きにすればいいじゃないですか、だって何だっていいんだから。

 

とても簡単な話です。

生きるって、とても簡単な話じゃないですか?

 

別に複雑にしてもいいですよ、そうしたいなら。

でも、そうしたいわけではないのに、自分から複雑にして自分から苦しいって言ってるのって、よく考えたらオカシクないですか?

自分で自分のワナに捕まってジタバタしてるのって、オカシクないですか?

「苦しい」って実は、おかしなことだったんです。滑稽なことだったんです。

 

「バカヤロウ何言ってんだ、人の苦しみを笑うんじゃない」なんて怒り出す人もいるかもしれませんが、そうやって深刻に捉えること自体がすでに苦しみではないですか。

そうやってまわりから寄ってたかって深刻さを注がれて、かわいそうにその苦しみはますます深刻さを増します。

 

 

苦しみなんて、本当は無いんですよ。

苦しみはその人が欲しがるから、与えられているだけです。

苦しみを自ら選択しているから、与えられているのです。

本人は無自覚かもしれませんが。

 

選択しないのに、与えられるわけがありません。

宇宙は法則で動いています。

そこにはどんな例外もありません。

宇宙は無作為無秩序に苦しみをバラまいたり幸せをバラまいたりしているわけではありません。

そんな意味不明な運行はしていません。

ごくシンプルに動いています。

 

あなたが欲しくなくても、それを選択したなら、それが与えられるのです。

あなたが欲しくても、それを選択しなかったら、それは与えられないのです。

 

どうしたいかではなく、「実際に何をしたか」によって、結果が決まります。

どういう希望や夢を持っているかは関係ないのです。

実際に何をしたかです。

 

あなたが欲しかろうと欲しくなかろうと、苦しみがやってきたなら、あなたは苦しみを選択したのです。

「してない」と言い張っても、してるのです。

結果が雄弁に物語っているのです。

 

そのことに目をそらし続けても、結果は何も変わりません。

宇宙は何の情状酌量もしません。

淡々と法則を適用し続けるだけです。

あなたがどんなに頑張って否定しても、宇宙が根負けするとかありません。

 

そうするのが希望なら、そのとおりに「する」のです。

希望だけでは何も変わりません。

実際にそうしないと、何も変わりません。

 

苦しみに対してめそめそしたり、愚痴を言ったり、あるいは負けるもんかと戦ってみたり。

その「反応」を見てみてください。

それが実際にしていることです。

それそのものが苦しみじゃないですか?

していることがすでに、苦しみじゃないですか?

 

そのまんまですよね。

何も難しいことはありません。

簡単です。

つまり、「それ」が「それ」です。

 

そこになんやかんやと、余計な解釈をくっつけて複雑にしてわかりにくくしているから、その通りわかりにくくなっている。

複雑にしてるから、複雑になってる。

それもそのまんま。

 

簡単な話です。

世の中全部、簡単な話です。

複雑なのは、複雑に「してる」から複雑。

余計なものを全部取っ払ったら、簡単。

だって、余計なものを全部取っ払ったら何もないんだから、「無」なんだから。

これ以上ない簡単。

 

実に簡単な話です。

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