人間にはとてつもないエネルギーが秘められているのは、よく知られている話です。
何かすごいことを成し遂げる人がいたり、そうでなかったりするのは、うまくエネルギーを発揮できているかどうかの違いです。
そのエネルギーは、どうやったらうまく発揮できるのでしょうか。
エネルギーは、そもそも流れているわけです。
あとはそれを、堰き止めさえしなければいいのです。
ですから発想としては、「抵抗をやめる」ということになります。
「いや、抵抗しているつもりは全くありませんが」
そうかもしれませんが、エネルギーが発揮できていないということは、抵抗しているということです。
単純に無意識に抵抗しているのです。
抵抗をやめると、いい気分になります。
抵抗をやめると、スーッと落下していきます。自由落下です。
すべてを手放すと、スーッと落ちていきます。
それは気持ちのいい体験です。
ファーっと楽になる。
落ちるのは怖いですね。
でも気持ちいいですね。
抵抗をやめると、自由にエネルギーは放散されます。
勝手に、放散されます。
こっちで何か努力したり、力んだりしません。
勝手に溢れ出ます。
というわけで、落ちるのです。
すべてを手放して、落ちるのです。
人はだいたい何かにしがみついています。落ちるのが怖いから。
人であったり、環境であったり、地位であったり。
実際にそれらを捨てろ、縁を切れと言っているわけではありません。
それらがなくても大丈夫になりましょう、ということです。
あってもなくてもOK。何にもしがみついていない、ということです。
頭の中で、捨てるのです。
脳内で、落ちるのです。
物理的に縁を切ったり、捨てたりはしません。
物理的に縁が切れたり、何かを捨てたりとかは、脳内での変化が起こったのちに、必要であれば勝手に起こります。
まずは物理的な事項は置いといて、頭の中だけで変化を起こします。
…
まずですね、非常に近視眼的になっています、普段のわれわれは。
仕事のこと、生活のこと、人間関係のこと。
この書類をいつまでに提出しなきゃ、今日帰りに寄るスーパーでの買い物リスト、昨日のラインにまだ既読が付かないのは何でだろう??
非常に「具体的」な何かに、集中しています。
「具体的」「物理的」というのは、最終段階です。
それってもう「終わっているもの」であり、結果です。
最終段階にフォーカスしているのです。終わったことに注意を向けているのです。
そうではなく、始まりに目を向けます。
「そうなってしまったこと」に目を向けるのではなく、「これからそうなること」に目を向けます。
最終段階ではなく、初期段階です。
最終段階から離れて、初期段階に移行する。
これが今やろうとしていることです。
物理的なもの、固いもの、ハッキリしているもの、目に見えるもの、手で触れられるもの、頭で理解できるもの。
これらが最終段階品だとすれば、初期段階品とはなんでしょうか。
気持ち、思い、感覚、波動、なんとなく、モヤモヤ、理解できないもの、それ的なもの。
具体の反対ですから、それは抽象的になりますね。
だからといって「ない」わけではなく、「ある」んです。具体的じゃないぶん捉えにくいだけで。
その捉えにくいものを捉えていこうよ、そしてそっちの方向に上っていこうよ、ということです。
その抽象的で捉えにくいものを捉えていくと、どんどん捉えにくいものが捉えられるようになっていきます。
そのポジションから、それにふさわしい結果が生まれます。
結果とはつまり、具体的なものです。
今までずっとそれにばかりフォーカスしていた、具体的なものです。
それはそこにフォーカスするのではなく、それを生む原因のほうに移行することによって、勝手にその結果を生みます。
結果にフォーカスする必要はないのです、というか、それは無意味です。
結果を生みたかったら、結果にフォーカスするのではなく、原因のほうに移行するのです。
じゃあそれは「具体的」には、どうやるのでしょう?(笑)
具体的な手順はありませんね。
モヤモヤを捉えるやり方は、やはりモヤモヤです。
それに意識を向けるというだけです。
そして、捉えようとしてみる、というだけです。
料理のレシピみたいに、誰がやってもそうなるという手順はありません。
それは個々の感覚によります。
だから難しいし、簡単にそのことを忘れてしまうのです。
もっと気を引く「具体的」なことで、身の回りは溢れているから。
世間を騒がすニュース、身の回りのゴシップ、SNSのタイムライン。
もっと吸引力の強い、ハッキリした、具体的な事項でいっぱいだから。
そしてそもそも、人に頼ろうとするその心がミスマッチです。
最初にも言いましたが、誰にも頼らない、全てを手放す、ということが、そもそもの基本方針です。
依頼心を起こした時点ですでに、方向が間違ってます。
そんな非常に捉えにくいことを地道にやりつづけるのって、非常にチャレンジングだと思いませんか?
エネルギーは発揮できます、誰にでも。
天然でそれを発揮できる人もいるでしょうが、コツコツと変更を加えることによって、エネルギー体質に自ら変わることもできるのです。
筋トレみたいなもんです。
でも、筋トレみたいにジムに通わなくても、今その場で、いつでもできます。
もっと大きなもの、もっと包括的なものへと、意識を移行してみてください。
それがそのまま、あなたの器の大きさです。
器の大きな人物が、大きなことを成し遂げる。
それは必然的な結果ですね。
小さな器のまま、大きなことを力技でしようとするのではなく、大きな器になりましょう。
結果は必然として、起こります。
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