一般的に言って、人生とはすなわち、人生の「ストーリー」ですね。
いついつ、何々があって、どこでどうして、どう思った。
どこそこに入学して、誰を好きになり、部活でどんなことがあり、卒業して、就職して、仕事で成功したり失敗したり、恋愛で舞い上がったり傷ついたり。
そんなことをぐるぐると繰り返して、「人生」なるものが出来上がっています。
それはさながら、映画の「ストーリー」のようです。
我々は「ストーリー」の中に生きています。
それが一般的に「人生」と呼ばれるものです。
しかし、人生の真実は、ストーリーではありません。
ストーリーは「目に見える形」であって、それは真実ではありません。
人は、ストーリーという目に見える形を見ることもできますし、その奥にある真実を見ることもできます。
…
あなたにはあなたのストーリーがありますね。
どこで生まれてどう育ち、どんな性格でどんな経験をして…、と。
ではなぜ、あなたのストーリーはそのようなストーリーなのでしょうか?
わかりませんね、それは。
わかるはずもありませんね。
その「わからない」が真実です。
あなたのストーリーが、なぜそのようなストーリーなのかは、わかりません。
その「わからない」が真実です。
「わからない」って、捉えようがないじゃないですか。
捉えるということは理解するということであり、「わかった」というその感覚は錯覚です。
「わかった」という感覚が、ぽっかりと虚空に浮かび、またぽっかりと消えていく。
ただそういう現象が、意味もなく、ただ起こったり消えたりしているだけです。
それが事実です。
それが真実です。
…
人生も世界も、ただひたすらわからないです。
それが事実でしょう?
「わかった」というのは、現象のひとつでしょう。
その「わかった」が起こる意味も理由もわからないでしょう?
結局全ては「わからない」でしょう?
そのわからないの中にいることが、真実に生きるということです。
みなさん必死でわかろうとしていますが、それはひたすら真実を見逃しているということです。
わからないの中にいることは、不安です、もちろん。
だから、いろいろ確かなものにしたいと思います。コントロールしたいと思います。把握したいと思います。
だから逆に不安になります。
だって真実は「不確か」なんだから、「コントロール不能」なんだから。
「把握」なんて真実とは程遠い「解釈」のひとつに過ぎないんだから。
それって全部、真実から離れる努力をしているんだから、そりゃあ頑張れば頑張るほど、どんどん真実から遠ざかります。
死なないと。
偽りの人生を死なないと。
コントロールする人生、作り上げる人生、それらを全部捨てないと、真実を生きることはできません。
なかなか難しいですね、それは。
手放すなんて、落っこちてしまいそうで、なかなかできないですね。
でも逆に、たったそれだけのことでいいのです。
1億稼ぐことは、誰にでもできません。
100m10秒で走ることは、誰にでもできません。
でも、手放すことは、誰にでもできます。
努力も奮闘もいりません。具体的な行為は何ひとついりません。
ただ、手放すだけです。
手放すことができないのは、そっちのほうが重要であると、まだ考えているからです。
1億稼ぐことのほうが重要だと、まだ考えているからです。
まだ、コントロールによって、人生をどうこうできると考えているからです。
それもいいでしょう。
それは全然、悪いことでも、いいことでもなく、ただそうだというだけです。
…
でも真実は、重要なことなんて何もないのです。
何かが重要であるとすることは、ただ単にその人の解釈です。
真実はフラットです。全てフラットです。
1億稼ぐことができようができまいが、どっちも一緒です。
「わからない」の見地、真実の視点から見ると、全てはフラットです。なんの差異もありません。
1億稼ぐことができたという経験も、できなかったという経験も、全く同列です。
本当に優劣も何も無いんです。だってわからないんだから。
何が現れようと、どんな経験だろうと、何だっていいとしか言いようがないのです。
ただ「わからない」ままにやってきた現れや経験。
意味もなく理由もなく、ただやってきたそれらを、ただ享受するだけです。
それ以外に一体、何ができるでしょうか?
それしかなくないですか?
ストーリーじゃなく真実を見たら、もうそれしかありません。
どんなにストーリーに巻き込まれていようと、真実はそれしかありません。
あなたが知っていようと知っていまいと、真実は真実であり、そこから逃れることはできないのです。
あなたがどんなに、「わからない」はイヤだイヤだと言ってても、「わからない」は「わからない」でしかないのです。
「わからない」は真実なので、変更不能です。
変えることができるのは、あなたの「イヤだイヤだ」のほうです。
いや、変えるのではありません。
ただ真実を「見る」だけです。
真実を見れば、イヤだイヤだがいかに素っ頓狂なことかがわかります。
まるで風車に戦いを挑むドン・キホーテのようです。
風車は怪物ではなく、風車です。それが真実です。
でも、このドン・キホーテを笑っている私たちも、実生活において全く同じことをしているのです。
ウケるでしょう?(笑)
ありもしないものに怯え、起こってもいないことに備え、目の前の風車を怪物と思い込む。
ただそのまんまを見てごらんよ、風車だから。(笑)
ただありのままを見てごらんよ、「それ」は「それ」であって、あなたが想像したり妄想してるようなものではないから。
…
人生のストーリーは、妄想です。
実際のところ「それ」は、ただの「それ」です。
「それ」は捻じ曲げたり解釈したりしてあなたがコントロールする以前は、ただの「それ」です。
解釈したりコントロールしたりせずに、「それ」をそのままにしておくこと。
それが「わからない」の中に居ることであり、それが真実を生きるということです。
「目覚める」とは、そういうことです。
コメント