人生って何なのか、生きるって何なのか。
普通に疑問ですね。
何のために生きているのか、どうすればよりよい人生、充実した人生になるのかと。
それについて、頭で出した回答はすべて、ひとつの「解釈」となります。
「そういう考え方もできる」という、ひとつの考え方です。
なぜなら考えて出した回答だから。
ハウツーやレシピみたいなもの。
しかし、このことについて考えているエキスパートは「考え」に満足いかなくなります。
なぜなら考えはあくまで「そういう考え方もできる」という個別的な要素であり、普遍的な真理ではないからです。
普遍的な真理は、考えによっては到達できません。
「考える」という行為自体が、個人的な行為だからです。
個人が、個人的な機能を使って、個人的に出した回答です。
「普遍的な真理って何か」
このことについて考え続けているエキスパートは、最終的にそう考えます。
それはすなわち、「考えを捨てる」ということですね。
…
考えを捨てた時に見えるものは何でしょうか。
それはある意味、「何もない」と言えるものです。
逆に、今までのすべては「考え」であったかと、そう気づかされます。
考えを捨てれば何もない。
今まであれやこれやであったものはすべて「考え」であったかと。
頑張ってお金を稼ごうと考えない。
誰かに好かれようと考えない。
悩みも苦しみも考えない。
夢も希望も考えない。
考えなければ何もない。
「何もない」に、何があるでしょうか。
「何もない」にいるとは、どういうことでしょうか。
それを体験することは、今すぐ可能です。
単純に考えを捨てることによって。
真理とはこんな簡単に手に入るものです。
…
普段ならこんな発想はしませんね。
仕事や家庭やSNSに忙しくて、普段はとてもそんな発想はしません。
真理だとか、普遍だとか、そんなこと全く考えません。
もっと個別のことを考えています。
個別の集積、つまり日常を生きています。
日常を脱するとは、トリップでも充実でもなく、考えからの脱出です。
どこへ旅行しようと、どんな遊びをしようと、考えの中に埋もれていては、それは日常の延長であり、日常と一緒です。
真のエスケープは、「考え」からの脱出です。
手間もお金もかからない、シンプルな出来事。
人生って何なのか、生きるって何なのか。
それは考えではなく、体験です。
コメント
霊的な師は理性の外にいる。つまり自分はどんな存在なのかと考えたりしない。
考えは創造を遅らせる。あるいは否定するだけである。普通は、考えることでなにかを生み出す。しかし、すでに全ては創造されているのだから、それに気付くこともできる。しかし「考えて」いたのではいけない❗思考から離れなければならない☺