心が痛いと、人は言います。
なぜ心が痛いのか?
それは原因になるものをその手に握っているからです。
生まれたばかりの赤ん坊は、心が痛いなんて言いません。
原因になるものを握ってないからです。
心が痛いのは、その原因になるものを握っています。例外なく。
つまり、頭の中でそのことを考えている、ということです。
頭の中でそのことを考えてない時間帯は、痛くありません。
そしてまた頭の中にそのことが登場したら、痛くなります。
オン・オフ・オン・オフ。
まるでスイッチみたいですね。
そうです。
スイッチであるなら、切ってしまえばいいのです。
そして、頭の中を自分の好ましいものだけにしてしまえばいいのです。
頭の中は当人の自由だというのに、なぜそれをしないのか不思議ではありませんか?
痛くなる原因をその手でしっかり握りしめながら「痛い痛い」と言っている人を見て、どう思いますか?
「捨てなよ」って思いますよね、普通に。
しかし当人は、自分がしっかりその原因を握っていることに気づいていません。
「痛さ」のほうにばかり、注意がいっています。
単純に気づいてないのです、自分が原因を握りしめていることに。
ですから、単純に気づけばいいのです。
「あ」って。
「あ、頭の中にそのことがあるから、痛いのか」って。
…
「いやいや、わかっていても排除できないんですよ」という方もいるでしょう。
わかっちゃいるけどやめられない。
どうしても別れた彼のことが忘れられないんです。
なんであんな失敗してしまったのかと、どうしても頭から離れないんです。
とか。
単純に練習すればいいんじゃないでしょうか。
オンオフの。
できないできないとばかり言ってないで、できるように努力してみたらいいんじゃないでしょうか。
だって痛いのは本人でしょう?
当人の痛みは、他人が与り知るものではありません。
痛くてなんとかしたいと思うなら、なんとかしたらいいのです、単純に。
そしてそれはなんとかできるのです。実際。
今できなくても、練習すればできるのです。
手足は自由に動かせるでしょう。
生まれたばかりの時は自由に動かせなかった手足が、今では自由自在に動かせるでしょう?
頭も一緒です。
頭も自由自在にコントロールしたらいいのです。
勝手に変なことを考えてしまう頭をコントロールし、考えたいことを考えたいように考えられるように、練習すればいいのです。
手足と一緒です。
そしてそれは実際、大して難しくないのです。
「いま東京タワーを想像してみて」と言われたら、すぐできますね。
「いまお寿司食べるところ想像してみて」と言われたら、すぐできますね。
やること自体は簡単にできるのです。
ただ単に忘れているだけなのです、要するに。
だからむしろやるべきことは「やる練習」というよりも、「思い出す練習」です。
「痛いな」と思ったら、「あ、オフしよ」と、単純にスイッチの存在を思い出すだけです。
そして、自分の好ましいことを考えればいいのです。
「いやいや、言葉にすれば単純だけどさー」なんておっしゃるかもしれませんが、やってみたらもっと単純です。(笑)
なんにも難しいことはないのです。
単純にこの仕組みを思い出す、そして実際にやる。
以上です。
心の痛みなんて、そんな大げさに捉えるほどのものではないのです。
だって全ては頭の中での出来事だから。
全ては頭の中の出来事だから、頭内で完結できます。
ビルを建てたり南極を横断したりという、物理的行動は何も必要ないのです。
頭をコントロールするだけで解決です。
ダンスの練習や、歌の練習と一緒です。
手足やのどをコントロールするように、頭をコントロールすればいいのです。
練習です、単純に。
難しい理屈も、メソッドもいりません。
世の中って実はシンプルです。
人生も、シンプルです。
大抵、普通に考えたら普通にわかることばかりです。
普通でいいのです。
何か新手や奇手を繰り出さなくてもいいのです。
普通にいきましょう、普通に。
普通に考えれば、大抵のことはうまくいきます。
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