良いことも、悪いことも、自分に起こることは結局、自分が投げたものがそのまま返ってきているだけです。
なぜこんなことが起こったのかを知りたければ、自分を見ればわかります。
自分が何を投げたのかを。
愛を投げたのか、恐れを投げたのか、あるいは他の何かなのか。
大抵自分を見ずに、相手を見ますが、それはただの、投げたものを返す壁に過ぎません。
相手に文句を言っても、文句が返ってくるだけです。壁なので。
なぜそんなことが言えるのかって?
なぜなら「自分」しかないからです。
事実は「自分」しかありません。事実を見れば、それはわかります。
世界とは、自分の認識です。
自分の認識しているものが、すなわち世界です。
自分の認識外にも世界はあるとするその考えすら、自分の認識の一部です。
自分の認識以外には何もないのです。
なので、認識を変えれば、世界は変わります。
認識=世界、なのだから、それは当然です。
自分が投げたものが返ってくるというこの因果関係について、理解していませんね?
私はこんなものは投げてないよと思っていますね?
しかしながら、寸分の狂いなく、自分の出したもの=自分の受け取ったもの、です。寸分の狂いなくです。
あなたはその感覚を心に宿した時点で、もうすでにそれを受け取っているのです。感覚として。
不安、という感覚を心に宿した時点で、すでに「不安」という感覚を受け取っているのです。
時差なく、量の増減なく、質の変化なく、まるっきりそのままを。
なぜなら心に宿したそれがまるっきりそのまま、受け取っているものだからです。
その後、出ていったその電波は、壁にはね返って、現実的な形として、あなたに到達します。こだまのように、時差をもって。
自覚あるなしに関わらず、何らかの電波を発信しています。
生きている限り、それを止めることはできません。
できることがあるとしたら、電波の周波数を変えることだけです。
「じゃあ周波数はどうやって変えるんですか!?」と、さっそく聞きますね。
感じていることが、電波です。
不安、喜び、恐れ、安心。
感じていることを変える、ということです。
「じゃあ感じていることはどうやって変えるんですか!?」と、さっそく聞きますね。
まず、感じていることに気づくことです。
わりと皆さん、自分がいま、何を感じているかに気づいていません。
不安とか寂しさとか、あるいは気づかないように目をそらしていることが、あるかもしれません。
しかし、自分がいま何を感じているかを正確に把握してください。ごまかしたり、ウソついたり、でっち上げたりせずに。
「ああそういうことを感じているんだな」と、単純に気づいてみてください。
何を感じているかに善悪はないので、ただ単に、何を感じているかを、正しく把握してください。
そしたら次に、それをどうしたいのか、希望を述べてください。
書いたり口に出したりする必要はありません。
心の中で思うだけでいいです。
どうしたいのかの希望を、ハッキリと決めてください。
例えば不安を感じていると把握して、それはイヤなので、安心を感じたいのだとしたら、その安心の感じを感じてください。
ふぁーっと温泉に浸かって身も心もほどけていく感覚なのか、お母さんの腕に抱かれている安心感なのか、あなたが考える、そうでありたい感覚を感じてみてください。
あるいは、孤独や寂しさを感じているとして、それはイヤなので、じゃあ何がいいかを考えた時に、気の置けない仲間たちと笑い合っているとか、会う人すべてが愛とやさしさを持って接してくれているとか、こうだったら最高!みたいな感覚を感じてみてください。
もしすでに望ましい感覚を得ているのなら、もっと強度を増してみたり、もうちょっとこの部分はこうがいいと微調整してみたり。
感じていることが受け取るものなので、その感じを感じた時点で、あなたはそれを受け取っています。
ですから、あいまいにせず、なんとなくにせず、ハッキリと実感をもって、それを感じてください。
そしたら電波として出ていったそれは、具体的な形として、あなたに返ってきます。時間差をもって。
自分=世界です。寸分の狂いなく。
世界というのは、自分の認識なのです。全部。
自分が感じていることが、そのまんま世界です。
ならば、あなたの感じたい感じを感じれば、それがイコールあなたの世界となります。
寸分の狂いなくです。時差なくです。
電波として出ていって、具体的な形をとるのには、時間がかかります。
しかし、そんなことは気にしなくて良いのです。
なぜなら感覚は、最初の時点でもうすでに得ているからです。
心に思い描いた時点で、もう得ています。
そして得たいのは、結局感覚です。
具体的な形で返ってきたものは、ああこういう電波を出していたのだなと確認するための物的証拠です。
そして、それを元に感覚の改善を推進するための材料です。
テストの答え合わせみたいなもんで、違っていたら、次に生かすのみです。
ですから、返ってくるものに頓着しないでください。
返ってくるものを気にすると、「気になる」という変な電波が出てしまいます。
電波を止めることはできません。
常に電波は出っぱなしです。
できることは周波数の調整だけです。
だとしたら、それに専心するしかありません。
できることは周波数の調整しかないのだから、そこに専心するしかありません。
ということです。
まとめますよ。
世界とはイコール、自分が感じていることです。
内的な世界は、まるっきり時間差なく、感じていることがそのままイコール、自分の世界です。
外的な世界は、感じていることが電波として出ていき、具体的な形としてはね返ってきます。時間差をもって。
そして、外側の具体的な事象を見ることによって、自分がどういう世界を作っているかを確認することができます。
それが気に入らないものなら、それを反動力として利用することによって、目指すべき理想への原動力として利用できます。
イヤなものは「じゃあこうがいい」という反動力として利用できます。
そのようにして、理想や希望を「感覚として心に描く」ことによって、その時点ですでに、それらを得ることができます。
すると新たに発信したその電波が、具体的な形として、時間差をもってあなたの元へ返ってきます。
あなたはそれを、ありがたく享受すればいいし、何がやってくるかを気にする必要もありません。なぜなら、電波を出した時点で何がやってくるかは、もう確定しているからです。
変に気にして変な電波を出すよりも、内的世界のクリエイトに専心するのが、一番うまくいく方法です。
どうでしょう? 納得できましたか?
当たり前のことしか言ってないので、わかるっちゃあわかると思います。
たぶん皆さんは、イヤなことが起きた時に、それを反動力として利用せずに、そのまんま推進力としてさらにイヤなことを増幅させているのではないでしょうか。
イヤなことが起きたときに、そのイヤなことを心の中で反芻して、さらにイヤなことを増幅させていませんか?
「イヤなことは反動力として利用する」
今回の話のキモは、結局ここではないでしょうか。
「じゃあ何がいいんだ?」と、イヤなことは反転させて利用しましょう。
イヤなことが起こると、本当は何がいいのかを考えるきっかけになります。
イヤなことが起きても、目をそらしたり増幅したりせずに、反転利用してさらによりよい世界をクリエイトしていってください。
コメント
いつもありがとうございます(^^)!
あざす!
引き寄せっぽい話になってしまいますが、いわゆる妄想、イメージジングをして気分感じてたら叶うみたいな感じでしょうか。
久しぶりにやってみようかな。
まさにその通りですね。
ただし、「叶う」の意味は、そういう感覚になれた時点で叶っている、という意味です。
物理的な結果が出ることを「叶う」としていると間違えますので、ご注意ください。
妄想やイメージして、気分(感覚)を感じたらゴールって事ですね。
今まで嫌なことや思い通りにいかないと、ついつい自分なんて(自己嫌悪)とか、どうしてうまくいかないんだ(苛立ち)を感じて落ち込む時間だったので、じゃあ何がいいの?って180°欲しい感情に意識を向けるのを練習してみます。
嫌なことあって、どうしたらなくせるかって色々考えている時って、けっこう嫌な気分のままズルズルするんで、これは、一気に気分変わりそうで良いですね(笑)
まあそういうことですね。
Mさんの場合は非常にこだわりが強いというか、一点集中型なので、まず必要なのは「力を抜く」ということだと思います。
このままやると、イヤなことをグイっと力技で変更!みたいな感じになりかねないのですが、それって逆に楽しくないんですよね、義務みたいな感じになって。
なのでまずMさんは、力を抜く、リラックスとはどういう状態なのかの感覚を掴んだほうがいいと思います。
単純に肩の力を抜いたり、深くゆっくり呼吸したりも効果的でしょう。
なにか笑える動画を見てみるのもいいかもしれません。
そして、「ああ、力が抜けるってこういう感じか」というのを掴んでみてください。
もちろんこれも、真面目に取り組むのではなく、リラックスしてやってみてください。(笑)
わかりました。まずはリラックスする時間をとってみます。気軽にですね(笑)
とてもわかりやすかったです。
「感じていることが受け取るもの」というのが、すごく腑に落ちました。
いつもありがとうございます。
それはよかったです。^ ^
コメントありがとうございます。