面白い・面白くないを超えたもの

人は、「面白い・面白くない」で物事を判断します。

あるいは、「心地いい・心地よくない」とか「楽しい・つらい」とか。

 

そう、ものごとを「判断」します。

そして、好ましいほうを選択し、そうでないほうを切り捨てます。

 

判断せずにはおれないのです。

ほとんど「判断する=生きること」となっています。

 

そして真実は、「判断しない」です。

判断しないで、それがそのままである状態。

それが真実です。

 

人が真実を選択するのがむずかしいのは、実に判断グセが捨てきれないからです。

「真実」は「面白くない」と「判断」してしまうのです。

 

そう、真実は決して面白くはありません。

面白いや面白くないを超えたものだからです。

それが普通の人にとって、面白くないのです。(笑)

 

「面白い・面白くない」で判断する人にとって、真実は決して面白くありません。

だから、それを選択しないのです。

「面白い・面白くない」で捉えているから、そうなります。

 

 

判断を捨てるのです。

わからないものをわからないままにするのです。

「判断」というやり方を、一回捨ててみましょう。

 

ただ判断しないでいてください。何も。

ただそれだけです。

 

まあ、むずかしいことではないですね。

やろうと思えばできますね。

 

ちょっとそれをやってみてください。

なるべく長い時間。

 

そっちのほうに身体を慣らしていってください。

その結果どうなるかすら判断せず、ただやるだけです。

 

 

判断の結果を重視するなら、そんなことできませんね。

「いやそんな面白くも何ともないことに、時間は使えないよ」と。

それならそれでも構いません。

 

しかし、真実を見てみたい、体験してみたいなら、そうしてみてください。

ただ判断を捨てます。どこまでも、どこまでも。

その結果どうなるかも、判断しません。

やってよかったなあ、とか、やめとけばよかったなあ、とか、判断しません。

ただ「そのまま」です。どこまでもずっと、そのままです。

 

何の期待も判断もせずに、ただやってみてください。

面白い・面白くないを超えた世界を、直に体験してください。

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