幸せになるには、何かが必要でしょうか。
お金、愛、健康、地位、名誉。
何かに拠って立つ幸せは、本当の幸せではありませんね。
それは何かとの対比の上に成り立つ、相対的な幸せです。
何かがあるから幸せ。
それはつまり、それがなかったら幸せではないということです。
真の幸せとはなんでしょう。
それは何にも拠らない幸せですね。
「ただ単に」幸せ。
絶対の幸せです。
そんなものがある?
あります。
あなたのその状態、今そのままで、すでに幸せです。
絶対の幸せがるとしたら、それ以外にありえません。
絶対の幸せは、得たり得なかったりするものではありません。
得たり得なかったりする幸せは、相対的な幸せです。
絶対の幸せは、「常にそうであり、それ以外ではありえない」というものです。
それはすなわち、今のあなたのそのままの状態です。
そう思えないとしたらそれは、文字通り「そう思っていない」からです。
あなたはそれを、何か違うふうに解釈しているのです。
「絶対」なるものを、「相対的」に解釈しているのです。
「解釈」は、全て相対的です。
解釈にはいろんな解釈があります。
幸せだったり、不幸せだったり、つらかったり、楽しかったり。
「いろいろ」に解釈できるということはすなわち、相対的です。
「絶対」には解釈はありません。
絶対は「それ」だけであり、いろいろではありません。
あなたは絶対的なるものに、相対的な色づけをしているのです。
「それ」に対して、「いいね」とか、「いやだね」とか、「嬉しいね」とか、「さびしいね」とか。
でも、絶対とはつまり「それ」は「それ」であり、「幸せ」は「幸せ」ということです。
文字通り、字義通り、寸分の齟齬もありません。
あなたはすでに、幸せなんです。
あなたがそれに、どのような解釈を施そうと、あなたは「絶対的」に、幸せなんです。
何もいらないんです、幸せになるために。
あなたはすでに幸せなんです。
それは「解釈」によってなる幸せとは違います。
今、ありのままの自分に「幸せ」という解釈を施すことによって、幸せになるわけではありません。
何かを「する」のではありません。
今、すでにそうであるものを認識するだけです。
すでに幸せである自分を、ただ認識するのです。
…
相対的にはあなたは社長であったり社員であったり、男であったり女であったり、満たされていたり満たされていなかったり、文字通りいろいろでしょう。
現象世界は相対的ですね。
その相対をどうこうしても、絶対的な意味ではうまくいきません。
その相対をどうこうすることは、今まであなたが散々試みてきたことですね。
そしてそれはうまくいきませんでしたね。
相対は根本的な解決にはなりません。
「絶対」に居続けること。
それが根本的な解決です。
相対ではなく、「絶対」です。
相対的な「いろいろ」に全く無関係に、絶対は絶対です。
これこそが根本的な解決です。
現象を見ていると、絶対を見逃します。
現象世界の中で相対的に生き、相対的に物事を処理していると、絶対の世界に気づきません。
絶対は相対的ではありません。
それはそれ、というものです。
それはアレと考えられたり、コレと解釈されたりしません。
それはそれです。
「それ」を「アレ」や「コレ」から「それ」に戻すこと。
それが根本的な解決です。
幸せになりたい?
あなたはすでに幸せですよ。
絶対的な意味で、すでに幸せです。
お金も必要ありません。
努力も必要ありません。
ウソもごまかしも必要ありません。
見栄も欲望も必要ありません。
もうすでに至福です。
ただ見て。
ただ見てみて。
相対はスルーして。
現象という相対の奥にある絶対を見てください。
「ただ単に」幸せです。
あっけないほど簡単に、幸せです。
「すでにそれ」には、なんの努力もいりません。
これ以上ない、簡単さです。
これ以上ない簡単さ、極限のシンプル。
すなわち、それが真実です。
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