「何もない」ということはつまり、何でもいいし、どうでもいい、ということです。
そして、何でもいいし、どうでもいいということは、それ自体がすでにパワーです。
試しに、何でもいいし、どうでもいいと思ってみてください。
あるいは口に出して言ってみてもいいかもしれません。
すでにそこに秘められたパワーを感じることができるでしょう。
それは爆発力を秘めた種、という言い方もできるかもしれません。
「0」ということはつまり、何にでもなりうるパワーです。
そして、そのパワーを発揮した後にあれやこれやが、形として出来上がり、何かの達成や成就として現れます。
それは、パワーを発揮したからこその結果です。
そのパワーは、「0」から生まれます。
作用としての反作用ではなく、何もないところから忽然と湧き上がるのです。
それが本来のパワーです。
奪われたから奪い返そうという反作用ではなく、0から湧き上がるエネルギーによって、本来の形は作られます。
全ての有は、無から生まれます。
我々は生まれながらにパワーを持っています。今も、いつでも。
そのパワーを流すことが、我々の役目です。
それをするときに我々は、生きがいを感じます。
宇宙はそのように出来ています。
本来のパワーは、無から生まれます。
何もないところから、滾々と湧き上がるのです。
我々は嫉妬やら不安やらにかかずらわっている場合ではないのです。
比較やら競争やら、勝った負けたとやっている場合ではないのです。
何かの反作用としてのリアクションは、その何かがないとそもそも成立しません。
「それがなかったらそもそもなかった」というものです。
それはつまり、幻影です。ニセモノです。
何もないところから生まれたもの。
ただ単にそれがある、というもの。
それが本物です。
嫌なことをやられたからやり返すんだ、とか、不安だからお金を貯めておくんだとか、リアクションに終始している場合ではないのです。
我々は宇宙の一員として、パワーを流さないといけない。
滾々と湧き上がるパワーを発揮し、本物を生み出さないと。
本当に余計なことにかかずらわっているうちに、人生終わってしまいますよ。
生きた甲斐を、この世に生まれた甲斐を、満喫しないと。
我々は宇宙から授かったパワーを、いつだって発揮できるのです。
全てを捨ててごらんなさい。
かかずらわってる全てを。
そして、何でもいいし、どうでもいいというポジションに戻ってみてごらんなさい。
パワーは滾々と湧き上がり、ほとんど自動的に動き始めるでしょう。
やりたくてやりたくてしょうがなくなるでしょう。
何を?
って、何をやるかは問題ではありません。
その湧き上がってきたパワーを流してあげることが肝要です。
止めないで流してあげるだけでいいのです。
事は勝手に運びますから。
流して流して流し続けていればいいのです。
あなたはただ単に気持ちよく、そして事は素晴らしく運び、物事は円満に解決するでしょう。
心配するのがあなたの役目ではなく、上手くいくように気を揉むのがあなたの役目ではなく、パワーを流すのがあなたの役目です。
ある意味何もしなくていいのです。
「何かしなきゃ」というその感覚が、すでにズレています。
何もせずに、漲るパワーにニヤニヤしていればそれでいいのです。
意味もなく「ヤッター!」と叫んでいればそれでいいのです。
大事なのは何かをすることではなく、本物のパワーが漲っていることです。
あとはそのパワーが、勝手に事を起こしますから。
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