単純に、全てを忘れてしまえば、そこは幸せです。
不幸や不快感は、そこに意識を向けているからこそ、発生します。
単純に全てを忘れてしまえば、そこにはもう何もありません。
何かをしなくてはいけない、ということはありません。
何か結果を出さなくてはいけない、ということもありません。
単純に全てをなくしてしまえば、そこはもう無であり、そこはもう幸せです。
リラックスしてゆっくりと深く呼吸し、掴んでいたあれやこれやを霧消するに任せておけば、空いたスペースに幸福が流れ込んできます。
いや、空いたスペースそのものが幸福だといってもいいでしょう。
何かを追うのをやめ、ただそこに佇み、ゆっくりと深く呼吸し、のんびりとあたりを見渡せば、自分はすでに幸福のただ中にいることを発見します。
幸福を追うことすらやめます。
文字通り全てをなくします。
全てをなくしたとき、全てなくなりましたか?
いえ、全てをなくしたとき、全てがあることを発見します。
全てがあるとはすなわち、完全に満たされた思いです。
物理的な何かで満たされているのではなく、心が満足しているのです。
欠けた思いが何ひとつありません。
ただ満たされています。
全てを捨てたら、ただただ満たされているのです。
これは特別に時間をとって、あえてそのようにする必要があります。
なぜなら現代人は常に忙しく、放っておくと常に何かをしてしまうからです。
何かにいそしんでいるとき、何かに心を奪われている時は、そのような幸福を感じることは難しいでしょう。
あえて時間を取り、全てを忘れ、リラックスして呼吸し、ゆっくり全てを溶かしていきます。
その状態から、「あ、これがしたい」という思いが湧きあがったなら、それをするのです。
そこから湧きあがった思いは、何にも汚されない純粋な思いです。
なぜなら何の理由もないからです。
ただ単に思い浮かんだこと。
これは純粋な思いです。
純粋な思いを行動するとき、その人は純粋です。
子どもなんかはそんな感じですね。
汚れた思いが微塵もない。
それはつまり「美しい」のです。
宇宙は美しく、そして宇宙の流れに乗っている時、我々も美しい。
全てのスタートは、いったん全てをなくす、ということです。
いったんまっさらにし、そこから湧き出たまっさらな思いを生きるのです。
ピュアに美しく生きること。
これこそ人生の醍醐味ではないでしょうか。
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