世界は変わる。
それを見る感覚が変わることによって。
世界を変えるとはつまり、感覚を変えるということです。
あなたは自らの感覚を変えることによって、自分の世界を変えることができます。
感覚が変わったなら、すでに世界は変わったのです。たとえ見た目が同じに見えようとも。
頑張って資格を取ったり、アルバイトをしてお金を貯めたりという、物理的な行動によっては世界は変わりません。
それは、同じ世界に居続けながら見える現象が変わるというだけです。
結局世界は同じままです。
同じ感覚のまま行為によって世界を変えようとしても、それは変わりません。
頭の中です、結局は。
あなたの人生が何も変わってないとしたら、それは頭の中が変わってないからです。
なぜそのようなことになるのかというと、目に見えるものに最大限の価値を置いているからです。
だから、目に見えるものを変える、という直接的な行為に走ってしまいます。
肩書を得るために働いたり、お金を得るために仕事したり、モテるために自分磨きしたり。
それは同じ世界のまま、そこに現れる現象を変えようという努力です。
努力で世界は変わりません。
発想です。頭の中です。
その転換ができない限り、永遠に世界は変わりません。
目に見える現象は変わらなくていいのです。
目に見える現象は変わる必要はないし、変える必要もありません。
「そんなのはいやだ。目に見える現象を変えたい」という思いが根強いから、いつまで経っても変わらないのです。
あなたが手にしたいのは何ですか? 幸せでしょう?
それは目に見える現象を変えなくても、手に入れることができます。
むしろ、目に見える現象にこだわっていたら手に入りません。
幸せはそんなところには無いからです。
幸せは自らの内にあります。
幸せは何かといえば、それを感じる心です。
心がそれを感じるから、それはそこに存在します。
幸せは高級車にも素敵な伴侶にもブランド品にも存在しません。
それはそれを感じる心にしか存在しません。
つまり、自分の内です。
あなたが一杯のアイスコーヒーに無限の幸せを感じるなら、それ以上のものは必要ないのです。
それは究極的な話、幸せになるには何も必要ない、ということです。
ただそれを感じさえすればいいのですから。
モノに頼りすぎているのです。
幸せはモノに存するのではなく、自らに存します。
つまり、自分が居さえすれば、究極的にはそれで幸せは可能です。
モノに目を向けるのではなく、幸せそのものに目を向けましょう。
それは結局、自分自身の感覚に目を向けるということです。
実際に自分の感覚が感じていることが全てであり、自分の感覚が感じていることが、すなわち世界です。
幸せを感じるのです、今、この場で。
そのためにできることをするのです。
モノではなく、心です。
心が何を感じているかです。
あなたの心は今、何を感じていますか?
その通りの世界が、いま目の前に広がっていますね。
あなたが感じている通りの世界が、いま目の前に広がっていますね。
それを変えたかったら、どうしますか。
「感じ」を変えますね。
どうやって感じを変えますか。
それを「選択する」ということですね。
感じたい感じになれるような選択をする、ということですね。
どっちが心地いいか、どっちが楽しいか、どっちがワクワクするか。
いちいち「選択する」ということです。
「感じ」を意識的に選択する、ということです。
世界を変えるのではありません。
自分の感覚を変えるのです。
自分の感覚が変わるような選択を、意識的にするのです。
自分の感覚が変われば、世界が変わります。
世界は「変える」のではなく「変わり」ます。
あなたの感覚の通りに、世界は変わります。
その選択は、いま可能です。
いまこの場この瞬間から、世界を変えることができます。
…あなたがそれを「選択」しさえすれば。
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