人は何もしてない時、自分自身です。
いえ、もちろん何かをしていても自分自身ですが、何かをしている時は大抵、何かを演じています。
母親であったり、恋人であったり、何か会社のポストであったり。
ただ道を歩いている時ですら、人の目を気にして、自分以外の何者かを演じていたりします。
その様子は文字通り「役者」に似ています。
役者とは舞台の上だろうがプライベートだろうが「その人」であることには変わりありませんが、舞台の上では自分ではない何者かを演じています。
そして、舞台を降りると、本来のその人自身に戻ります。
同じように私たちも、何かをしている時は何者かを演じ、何もしてない時に本来の自分に戻ります。
そんな「何もしない」を実践する方法の一つとして、瞑想や坐禅といったものがあります。
自分自身に戻るために、それをやります。
何もしないを実践するために、何かをやるのです。(笑)
そこまでして、自分自身であろうとするのは、それだけそのことが重要だと認識されているからです。
いや、いつでも自分自身ですよ、もちろん。
自分以外であったためしはありませんし、自分以外の何かになることもありません。
人は生まれてから死ぬまでずっと、自分自身です。
しかし、自分以外の何者かの「フリ」をします。
私は自分自身じゃなくてAですよ、Bですよと、何かのフリをするのです。
何でそんなことをするのかというと、自分自身であることによって傷つく経験をしたとか、周りの影響とか教育の影響とか、いろいろあるでしょう。
あなたは本当に自分自身ですか?
自分自身であるならば、くつろいでいるはずです。
何の気兼ねもないし、何かや誰かを気にする必要もないからです。
自分自身であるとは、自分のホームグラウンドでくつろいでいる、ということです。
しかし、自分のホームグラウンドでくつろいでいると、周りからヤジが入る場合があります。
「なにやってんだ」と。
そこで、そのヤジに反応したり抵抗したり逃げ出したりと、自分のホームグラウンドから外れる行動を取ります。
そういうわけで、自分自身からズレていきます。
そして最終的に、周りに対して身構えている状態が、デフォルトとなってしまいます。
しかし今私たちは大人になり、自分自身でいていいんだ、いやむしろいるべきなんだと、「理解」が入ります。
昔は無知だったから、周りから言われると、自分自身でいることは悪いことなのかと思ってしまいました。
今は違います。
一回りしてまた、自分自身に戻り始めています。強固な理解と共に。
意図的に意識的に、自分自身に戻るのです。
そのために瞑想と言うツールを使ったり、ブログやYouTubeをみて、意識的に思い出すということをしています。
結局、自分自身でいるということが幸せなのです。
そういう結論に達したのです、いろいろ試してみた結果。
そんなわけで私たちは、本来の生き方を取り戻すため、外れてしまった自分を徐々に元に戻しています。
徐々に外れてしまった今までの逆をいって、徐々に元に戻っています。
自分自身でいる、とは、そこがゴールです。
お金を稼ぐとか、夢を叶えるとかがゴールではありませんでした。
自分自身でいることが、ゴールでした。
あなたは今、何のためにどこへ向かっていますか。
最終的には、自分自身でいることに落ち着きます、どこへ向かおうと。
そのことを今、改めて思い出してみたいのです。
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