バカと幸せの関係

野生のジャングルに批判ってないじゃないですか。

あるがまんま、そのまんま。

食ったり食われたり、やったりやられたり。

野生のジャングルに、他人を批判しているやつはいません。

 

それでありながら野生のジャングルは、しっかり存続しています。

あるがまんま、そのまんまで、何の破たんもなく、しっかり存続しています。

むしろ、しっかりと繁茂し、人間による破壊にもめげません。

 

そう考えると我々だって、あれがイカン、ここはこうすべきなどの批判はなくても、そのまんまでしっかり存続するはずです。

そう思いませんか?

何かをどうにかしないといけない必要など、なくはないですか?

批判があるからそれを打ち消すための批判が生まれ、無益な応酬が続いています。

 

つまり、「勝手に」ガチャガチャやっているのですね。

何も無くても問題はないのに、勝手にガチャガチャやっている。

 

ガチャガチャを静めたところで、何かがどうなるというわけでもありません。

いや、何かがどうなったとしても、それがどうしたというのでしょう。

何かがどうなったとしても、キャラバンは進むわけです。

宇宙船地球号は前進を続けるわけです。

 

 

我々はあまりにもガチャガチャしすぎている。

あってもなくてもどっちでもいいガチャガチャに、あまりにもエネルギーを浪費し過ぎている。

ガチャガチャで疲弊し、人生を無駄にし、むしろ生きるのが嫌になっているのが、我々現代人ではないでしょうか。

「どう生きるべきか」は本当に必要か?

「どう生きるべきか」なんてのも、本来必要ないですね。

ジャングルの生き物で、そんなことを考えているやつは一人もいないでしょう。

ただひたすら生きているだけです。

 

「どう生きるべきか」を考えるのは、文明人らしい、高尚な、一歩進んだ人類ならではのハイレベルな行為だ、なんて思われているかもしれません。

しかしそれは、逆の見方をすれば、劣っています。

考えなくてもいいことにムダなエネルギーを使うなんてバカだなと、ジャングルの住人たちは思っているかもしれません。

 

つまり、我々は余裕なんですね。

そんなバカなことに時間と労力を割けるくらい、余裕があるんですね。

食べ物を得るために必死になる必要もなく、住む家も着るものも十分に確保され、快適な環境と便利な道具たち。

 

つまり「ヒマ」なんでしょうね。

そしてそのヒマをうまく使いこなしてない。

 

せっかくのヒマと余裕を、自らと周りを痛めつけるために使っている。

自らの気分が悪くなること、周りの気分が悪くなること、周囲の足を引っ張ることに使っている。

結局現代人の生き方のクオリティとは、ヒマと余裕をどう使いこなすか、ということに尽きるのではないでしょうか。

 

生きるために必要な労力がどんどん小さくなり、その分ヒマと余裕が増えます。

しかし、それをどう使うかということに、我々は結構無頓着です。

 

ヒマと余裕があるからこそ、おバカなこともできる。

我々は恵まれているのです。

忙しくてそんなヒマないよ、という人も、その忙しさは実はガチャガチャであったりします。

必要のないガチャガチャで忙しいのです。

たとえ抜けられないガチャガチャであったとしても、ガチャガチャはやはりガチャガチャです。

 

そんなガチャガチャはさらなるガチャガチャを呼び、ガチャガチャ社会を形成します。

役所の手続きが煩雑で、それは利用者とそこで働く人の両方に理不尽なガチャガチャを強要したり。

売らなくてもいい、もう十分みんなに行き渡っている商品を売るために、さらなるガチャガチャを生み出したり。

不必要な趣味が不必要な付き合いを呼び、不必要な出費や不必要な悩みをガチャガチャと呼び込んだり。

 

それを見てジャングルの連中は笑っているかもしれません。

文明人って、バカだな(笑)

なんて。

 

我々は大真面目にバカをやっているのかもしれません。

いえ、真面目だからこそバカをやるのでしょう。

不真面目でバカなほうが、実は幸せであったり。

そして、高尚な悩みよりも不真面目なバカ騒ぎのほうが、シンプルに楽しかったり。

 

バカでも何でもいいけど、結局我々は幸せなのか? と。

高尚な文明は結局何をもたらしたのかと。

改めて考えてしまう今日この頃。

 

我々は本当に、未開のジャングルより優れているのか、と。

コメント

タイトルとURLをコピーしました