我々は本当は何を求めているのでしょう。
どうなれば満足なのでしょう。
沢山のお金?生活の保証?円満な人間関係?
完全な満足って、あり得るのでしょうか?
瞬間的にはあるのかもしれませんが、永続的な満足って、あるのでしょうか?
きっとみなさんは、永続的な満足、常に満たされた状態を求めているのだと思います。
満足感、幸福感。
それは様々な「感じ」の中の1つですね。
その「感じ」には、他に「寂しさ」「不安」「痛み」「恐怖」なんてものもありますね。
それらは浮かんでは消える泡のようなものです。
自分という知覚フィールドに、いろんな感覚がやって来ては、去ります。
自分という知覚フィールドにやってくるそんな感覚たちを、ある特定のものだけに限定することは、果たしてできるのでしょうか?
やってくる感覚をコントロールすることは、できるのでしょうか。
経験からいうと、それは無理ですね。
感覚は実に、勝手にやってきて、勝手に去ります。
コントロールなんてやりようがない、というのが実感だと思います。
自分にとって好ましい感覚だけを選び取る。
それは不可能です。
じゃあどうすればいいのか。
…
どうしようもありません。(笑)
勝手にやってきて勝手に去っていく感覚たちを、もはやどうしようもありません。
ただ、どうこうしようとするのをやめることならできます。(笑)
不可能なことを何とかしたい、どうにかしたいと思うのを、やめることならできそうです。
不可能なことはできませんが、不可能なことをやらないことは、できそうです。
というわけで、あきらめましょう。(笑)
できないことをやるのは、あきらめましょう。
…
あなたがコントロールしようとがんばっても、あきらめて何もしなくても、勝手にやってきて勝手に去っていくそれらは、何も変わりがありません。
がんばろうが放棄しようが、勝手にやってきて勝手に去っていくだけです。
何も変わりません。
これはもちろん、無気力になれということでもないし、努力をやめろということでもありません。
コントロールを放棄しよう、できないことを頑張るのをやめよう、ということです。
というか逆に、不可能なことをやろうとしているから、しんどいのです。
コントロールできないことをコントロールしようとするから、しんどいのです。
手放しても何も変わりません。
いやむしろ楽になります。
力みやストレスやいら立ちやあせりから解放されて、むしろ楽になります。
「なんだこの自由は!?」
いってみればそれが、幸福感ですね。(笑)
幸福はそれを必死で追い求めている時には手には入らず、むしろそれを手放した時に手にはいるという不思議なパラドックス。
我々が追い求めていた完全な満足があるとしたら、きっとそれでしょう。(笑)
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