世界が変わるんじゃなくて、世界の見え方が変わります。
世界は依然として、同じようにそこにありますが、その世界が違ったふうに見えます。
すなわち、固定された「世界」なるものは無かったのです。
あったのは「自分」です。
世界とは自分のことだったのです。
だから、自分が変わると、世界が変わるのです。
旅はその場でできます。
どこに行かなくても、その場で行けます。
景色が違って見えます。
ハワイに行かなくても、パリに行かなくても、その場で新しい景色を見ることができます。
世界は真の姿を現します。
見えるままに見ることによって、世界は真の姿を現します。
物事は、意味を付与することによって、逆に見えなくなっている。
意味を付与したおかげで、本体が隠されてしまう。
何か素晴らしいものであってほしいという期待が、本質をくらませる。
意味など必要なかった。何も頑張る必要などなかった。
それは求めるものではなかった。
求めるのをやめるということについて、真剣に考えてみてほしい。
我々は常に何かを求めている。
なぜ求めるのか。
なぜ求めてしまうのかから順を追って、考えてみよう。
欲しいと思う、そうありたいと願う、そのような状況を望む。
何かを「求める」。
それは、自分を満たしたいから。
すなわち今、満たされていないから。
今、満たされていないから、満たしてくれるものを、求める。
でも、「求める」によって、満たされない思いは満たされない。
欲しいと思ったり、そうありたいと願ったり、そのような状況を望んだところで、そうはならない。
「求める」はそれを得るための、正しい手段ではない。
「法則」を見てみよう。
実際に世界がどのように運行しているのかを。
「求める」のはなぜかというと、「無い」から。
無いから、求める。
だから、無い。
あるなら求めない。
求めない時、それは「ある」。
だから、「求めない」によって、「ある」が手に入る。
屁理屈だと思う?
屁理屈だと思うから、それが屁理屈になる。
思った通りの現実が、そこにある。
それが法則。
あなたが心でクリエイトしたこと。
それが現実。
世界はあなたが心でクリエイトした通りの「結果」。
だから、固定されたものではない。
あなたが心を動員すれば、その結果が世界に現れる。
間髪を入れずに、現れる。
同じ景色が、全く違って見える。瞬間で。
景色は瞬間ごとに変わって見えている、あなたの心を反映して。
毎日通っている道の景色も、毎日眺めているオフィスの眺めも、毎日変わっている。
よく考えて見てみると、確かに毎日変わっている。
あなたは世界をどうしたいのか。
そのように見れば、世界はそのようになる。一瞬で。
世界がそうであることを「望む」のではない。
そうであることを「望む」のは、そうでないことを高らかに宣言しているのと一緒。
望むのではなく、そう「する」のだ。
「そう」だと「決める」のだ。
世界はあなたが望んだ通りにはならない。
世界はあなたが「決めた」通りになる。
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