「これじゃいやだ」「納得がいかない」「なんか違う」「ダメダメ」
まだ見ぬ夢の島、最終的なゴール「納得」をめざして、あーでもないこーでもないと、あちこちの角にぶつかりながら、進んでいく。
まだ見ぬ場所、想像上のゴールを目指して、右往左往、四苦八苦しながら進んでいく。
その場所は本当にあるのだろうか。
まだ見ぬ理想郷は、本当にあるのだろうか。
苦労すれば、改善を繰り返せば、そこにたどり着けるのだろうか。
マラソンならば走れば必ずゴールにたどり着くが、このレースには本当にゴールはあるのだろうか。
多くの人は薄々気付いている。
ゴールは無いと。
それは蜃気楼だと。
永遠にたどり着けない場所。
目の前にぶらさげられたニンジン。
気付いたところで、このレースをやめるわけにはいかない。
だってこのやり方しか知らないから。
このレースをやめたらどうなる?
そっちのほうが怖い。
せっかく今まで走り続けたのに、今やめたら今までの走りが無駄になるんじゃない?
だから走るのをやめられない。
どこにも辿り着けないと知りながら、それでも走るのをやめることができない。
哀しさ。
生きることの哀しさとは、それだ。
負けると分かっている試合を続けること。
そして試合終了の笛は、いつまでたっても鳴らないこと。
空しさ。
生きることの空しさとは、それだ。
一体何の意味があるのか、この試合を続けることに。
負けは確定。でもまだ終わらない。
いつ終わるのかも、わからない。
身動きが、取れない。
…
止まるしかない。
立ち止まるしか、ない。
レースを下りるしかない。
止めるしか、ない。
それしかない。
怖い?
それは怖いさ。
今までの全部が間違いだと認めることだからね。
今までの全部を捨てることだからね。
でも同時に、身軽。
今までの全部を捨てて、身軽。
今、生まれ変わるから。
目の前には、自由と無限だけが広がる。
一度捨てれば、後はカンタン。
瞬間ごとに生まれ変わる。
難しいのは初めだけ。
何しろ、今まで積もりに積もった、最大限のものを捨てるから。
最初の全てを捨ててしまえば、それ以降の積もりなんて、たかがしれてる。
簡単に、捨てられる。
そして毎瞬新鮮。
毎瞬生まれ変わる。
怖いのは、はじめの一歩。
試合中にスタジアムを後にするのは、勇気がいる。
まだやってるのに一人だけ去ることは、とてつもない勇気だ。
ブーイングも飛んでくるだろう。空き缶を投げられるかもしれない。
でも、スタジアムの外に出てごらん。
そこは新鮮な空気と、どこまでも広がる地平線。
「一体あの狂乱は何だったんだ!?」
そこはもう、ブーイングも喧噪も届かない場所。
静かで無限な、宇宙。
一瞬で悟る。
「こっちが本当だ」と。
勇気に、万歳。
自分に、万歳。
スタジアムを後にした、自分を讃える。
行くのは、自分だ。
自分の足と、自分の決断でしか、動けない。
だれも代わりにはできない。
自分の足と、自分の決断でしか、できない。
誰かがその決断を、待っていやしないか?
誰かが待ってくれている、そんな気がしないか?
それは自分だ。
あなたの中にいる、自分だ。
無言で自分を見守っている。
何も言わないけど、見守っている。
自分はひとりじゃない。
自分には自分がいる。
いつも見守ってくれている、自分がいる。
それは想像じゃない。
感じるんだ。
本気の決断に震えそうな時、そいつは見守ってくれているんだ。
自分は一人じゃない。
期待してくれる存在がいる。
さあ、行こう。
夢に向かって行くんじゃなく、夢から醒める。
今、その一歩が、世界を変える。
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