「幸せ」「不幸せ」。
これは、その人がそうである結果です。
これは外からもたらされるものではありません。
自分からそうしているのです。
幸せな人は幸せをし、不幸せな人は不幸せをしているのです。
「いやいや、自分は不幸せをしているつもりはこれっぽっちもないですよ」と思う方もいるかもしれませんが、やっぱり不幸せをしているのです。
ただ、自分で気づいていないだけです。
それは、「幸せになりたい」とか「幸せになりますように」という、希望や願望ではありません。
幸せを実際にやっているかどうかです。
希望や願望は、実際にはそうではないからこそ、そうなりたいと思います。
つまり、「実際は幸せではない」ということです。
幸せな人は実際に幸せをやっているのです。
思ったり考えたりしているのではなく、実際に実行中なのです。
だから幸せなのです。
…
人は自分が実際にやっている通りの人間です。例外なく。
「自分はそんなことやっている覚えはない」といっても、やっているのです。
ただ自覚していないだけです。
人は皆、そうである通りのものです。
それはなんの難しい理屈でもなく、ただそのまんまの話です。
箸は箸だし、ストーブはストーブです。
お粥はお粥だし、座布団は座布団です。
全く同じように、幸せな人は幸せな人だし、不幸せな人は不幸せな人です。
でもそれって初めっから決まっていて、変更不可なのかといったら、そんなことはありません。
初めに無意識にそれをやっていたとしても、いつでも変更は可能です。
今不幸せだとしても、幸せに変更は可能です。
ただ変更するという発想がないから、デフォルトのままいっちゃってるだけの話です。
変えようと思えばいつでも変えられます。
変えたい?
じゃああなたの変えたいように変えたらいいのです。
どうやるの?
どうやるもクソもありません。
ただ変えればいいのです。
幸せになりたいのであれば、実際に幸せをやればいいのです。
「幸せになりたい」と言っていて、実際に幸せをやっていなかったら、それは幸せな人ではありません。
それは「幸せになりたい」と言っている人であり、幸せな人ではありません。
幸せになりたかったら、言ったり思ったり考えたり祈ったり願ったりするのではなく、実際にそれをやるのです。
実際に幸せを実行するのです。
あなたがなりたいのは、幸せになりたいと「考えている人」ですか?
もしそうなら、そうすればいいでしょう。
でももしあなたが「幸せな人」そのものになりたいのなら、実際そのものになるのです。
幸せを「考える」のではなく、幸せを「実行する」のです。
幸せを実行するって何ですか?
ってそれは、あなたが思った通りのことです。
「これが幸せを実行するってことだろう」とあなたが思ったなら、それがその通りです。
「幸せを実行なんてできない」と思ったなら、それがその通りです。
「幸せを実行するレシピがどこかにあって、それを探し出さなきゃ」と思っているなら、その通りです。
全部あなたが思っている通り、そのまんまです。
「いや、私の思いなんて関係ないですよ、真理は真理です」と思っているならその通りだし、「なるほど、確かに全部私が思っている通りだ」と思うなら、その通りです。
そのまんまです。
自分が思う幸せを実行してみたけど、全然幸せになれないんですけど?
それは間違いだったということですね。
自分が幸せと思っていたものは、実は幸せではなかったという話です。
幸せになろうとして不幸せになる人はいっぱいいますね。
あなたが現に不幸せだということは、あなたは現に不幸せを実行しているということです。
それはもう事実なので、認めるしかありません。
認めなくてもいいけど、それだといつまでも不幸せのままです。
自分のやっていることによって自分が不幸せになっているなら、それは自分は不幸せをやっているということです。
この場合、「これが幸せだと思ってやってみたら違った。じゃあ何だ?」と試行錯誤しながらたどり着いていけばいいのです。
そして最終的に、これをやってみたら幸せになった、ああこれが幸せか、と、たどり着けばいいのです。
逆に、自分では幸せをやっているつもりはこれっぽっちもないのに、幸せな人もいます。
それは無自覚に幸せをやっているのです。
自覚、無自覚は関係なく、「現に、実際に、やっていること」。
これが全てです。
現に幸せをやっているなら幸せ、現に不幸せをやっているなら不幸せ。
あなたはいつでも、現にそうであるものです。
ちなみに「やる」とか「実行する」という言葉を使ってはいますが、それは文を読む上でのわかりやすさのためであって、実際は「そういう状態である」みたいなニュアンスであることは、ご理解ください。
…
どうでしょう、とても当たり前の話ですね。
冷徹なくらい、当たり前です。
「それ」はそのまんま「それ」です。
幸せはそのまんま、幸せ。
不幸せはそのまんま、不幸せ。
「それ=それ」という、一種の法則ですね。
法則というのは、冷徹なものです。
それはえこひいきも差別もしません。
情状酌量もありません。
冷徹なまでに厳格です。
「ずいぶんたくさん思ってくれたから、そろそろしてあげよう」とか、そういうことはありません。
100年思おうが1000年思おうが、実際にそうしないならば、そうはなりません。
逆にそう「した」なら、その瞬間に、そうなります。
100年やったからやっとそうなった、なんてことはありません。
ご飯は食べた瞬間に「食べた」です。
ドアは開けた瞬間に「開けた」です。
そう「した」瞬間にそうなります。
それが法則です。
というかそれはもう、法則以前の話です。
幸せでないのは、あなたが現に幸せをやっていないから。
幸せなのは、あなたが現に幸せをやっているから。
それは箸が箸であるのと同じくらい当たり前です。
説明不要です。
…
人はただ単に、そうであるものです。
そうでありたいなら、ただ単にそうであればいいのです。
幸せな人は、幸せをやっている人。
不幸せな人は、不幸せをやっている人。
幸せになりたかったら、実際に幸せをやること。
これが幸せになるための、間違いのない事実であり、法則です。
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