最終的には「それでOK」ということがわかれば、終わりです。
この場合の「わかる」は理解することとは違います。
理解するとは、解釈するということです。
この人はこういう人だと解釈する。
真実とはこういうものだと解釈する。
一般的に言って理解とは、そういうものです。
でも、「それでOKとわかる」とは、それがそうである様を、ただ認識するだけです。
それがそうであるとは、理解以前の話です。
今、目の前にある景色。
花が咲いている、車が走っている、雲が流れている。
それは見たまんまそのままですね。
「キレイな花だな」とか「危ない走り方だな」とかは解釈です。
でも、解釈すらも、ただそれです。
解釈すらも、ただそのまんまです。花や雲と一緒です。
全ては「ただそれ」です。
それは理解以前の話です。
見て、解釈する以前の、見たまんま、そのままです。
ただ見たまんまを見てごらん、という話。
ただ見たら「これは何だろう?」とか、ないでしょう?
「これは何だろう?」は、理解したい気持ちが言わせる言葉で、それがそれであることは、理解以前に、見たまんまそうでしょう?
全ては見たまんま、聞いたまんま、感じたまんまでしょう?
それはもう、赤ん坊にとっても、お年寄りにとっても、日本人にとってもアメリカ人にとってもそうでしょう?
「解釈」は違いますよ。
解釈は、人それぞれです。
でも、見たまんま、そのまんまは、誰にとっても一緒であり、例外はありません。
それが真実です。
真実は、理解以前の話です。
誰もが知っています。
コメント