自己否定。
自分を大したものではないとみなすこと。
これは無意識のうちに行われています。
何か原因があったのか、それとも性格なのか。
自分にはできないという感覚。
自分を小さく見積もる感覚。
意識が世界を作るのだとしたら、その人が作る世界は、とても小さくなってしまう。
自分=世界なのだから、とても狭小な世界になってしまう。
自分を取り戻す、取り戻したい。
自分を認めてあげたい。
この自分でOKなんだという確証が欲しい。
…
何か大きな成果を出したら、自分を認めることができるかもしれない。
ノーベル賞を取るとか、直木賞を取るとか。
しかし自分は何の成果も出してない。
こんな自分は好きになれないし、楽しくない。
でも、自分をやめるわけにはいかない。
死ぬまでこの自分と付き合っていかなくてはいけない。
葛藤、悶々。
普段意識には上らないかもしれないけど、自分が自分と一緒にいて、楽しくない感覚がある。
もっと別な人だったらよかったのに、とか。
自分と仲良くできない。
これは自分にとっては一番の苦痛でしょう。
誰よりも最も近い人、自分。
その自分と仲良くできないなんて、苦痛でしかありません。
密室で二人きりのその相手が、最もウマが合わない人だなんて。
…
自分の中にいろんな自分がいることを感じますか?
伸び伸びとくつろいでいる自分。
会社にいて、周りに合わせて取り繕っている自分。
家族といて、いいパパ、いいママ、いい子を演じている自分。
いろんなモードがあり、無意識のうちにそのモードを切り替えながら生きている。
しかし、意識をちゃんと持ってくると、仮面をつけた自分に気付く。
「ああ、演ってるな」と。
本当の自分でいることなんてできるのでしょうか。
どんな場面であっても、取り繕うことなく、ありありと本当の自分でいることなんて、できるのでしょうか。
もちろん、可能性としては可能ですね。
可能性としては、できる。
しかし相当難しい、と。
本来の自分はあまりにも社会生活にマッチしない。
叩かれる、否定される。とても無理。
だから仮面をかぶる。
自分を守るために。
自分を好きになれないっていうのは、仮面をつけた自分だからですね。
本当の自分ではないから。
偽物の自分に気持ち悪さを感じる。
演技がうまくいけばいくほど、空しさを感じる。
ありありと、自分のままでくつろげたら、どんなに幸せか。
何もいらない、それだけが欲しいとさえ思えます。
本当の自分であるとき、完全に自分と自分が一体です。
そこにはもう、好き嫌いも肯定も否定もありません。
主客一体ですから。
見る人と見られる人に分かれていません。
分かれていない。
好き嫌いを判断する相手がいないのです。
「一つ」ですから。
…
人は自分が嫌いではないのです。
自分を愛しているのです。
愛しているがゆえに、不当に扱われている自分が許せないのです。
愛しているがゆえに、「あなたはそんな人じゃないでしょう!」と、声を張り上げたくなるのです。
自分のことをどうでもいいと思っているなら、演技していようと何していようと、気にならないはず。
自分のことを誰よりも愛しているのです。
だから、自分が本当の自分でないことが許せないのです。
あなたは自分のことを諦められるか?
いや、死ぬまで諦められないですね。
あなたの深い愛は、自分を諦めるということを知らない。
必ず本来の自分を取り戻すまで、諦めるということはしない。
だから、やるしかないのです。
前に進むしかないのです。
自分への道のりを、一歩ずつ歩いていくしかないのです。
どんなに先延ばしにしても、その衝動は消えることはありません。
だから、やるしかないのです。
…
自己否定というものは、周りの環境によって形成されます。
周囲がなければ、自己否定という発想は、そもそもあり得ません。
何によって自分がダメだと知るのでしょうか?
それは周囲の反応です。
人は生まれた時は本来の自分です。
そして成長に従って、本来の自分ではダメだという場面に遭遇します。
そして矯正が入ります。
どんどん矯正が入り、そして大人になる頃には、周囲にとって問題のない人間に仕上がります。
それは本来の自分からはかけ離れた自分です。
そして自分への愛が、本来の自分への愛が、かけ離れてしまった自分を揺さぶります。
「あなたはそんな人じゃない」と。
そして今、戻ろうとしています。戻るタイミングに来ています。
一つずつ、矯正の輪っかを嵌めていったように、今度は一つづつ、矯正の輪っかを外していきます。
「それをしてもいい」と、自分に許可を出すのです。
本当の自分を、許してあげるのです。
食べ物は残してもいい、着たい服を着ていい、休みたいときに休んでいい。
緩めると、本来の自分が出やすくなります。
ですから緩んで、肩の力を抜いて、楽に呼吸して、「それでいい」ということを自分に許可していきます。
何をしても、何をしなくても、許してあげます。
何かをしたいというなら、なるべく叶えてあげる、何かをしたくないというなら、なるべく許してあげる。
今まで自分を締め上げていた輪っかを、徐々に外していくのです。
これはもう、やるしかないのです。
どんなに保留にしてても、本来の自分へ還ろうという動きは、消えることはありません。
死ぬまで消えることはありません。
もう、やるしかないのです。
何もしない自分を許しましょう。
何かをする自分を許しましょう。
自分への旅路を今日、スタートさせましょう。
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