自己否定を取り除く

自己否定。

自分を大したものではないとみなすこと。

これは無意識のうちに行われています。

 

何か原因があったのか、それとも性格なのか。

自分にはできないという感覚。

自分を小さく見積もる感覚。

 

意識が世界を作るのだとしたら、その人が作る世界は、とても小さくなってしまう。

自分=世界なのだから、とても狭小な世界になってしまう。

 

自分を取り戻す、取り戻したい。

自分を認めてあげたい。

この自分でOKなんだという確証が欲しい。

 

 

何か大きな成果を出したら、自分を認めることができるかもしれない。

ノーベル賞を取るとか、直木賞を取るとか。

しかし自分は何の成果も出してない。

 

こんな自分は好きになれないし、楽しくない。

でも、自分をやめるわけにはいかない。

死ぬまでこの自分と付き合っていかなくてはいけない。

 

葛藤、悶々。

普段意識には上らないかもしれないけど、自分が自分と一緒にいて、楽しくない感覚がある。

もっと別な人だったらよかったのに、とか。

 

自分と仲良くできない。

これは自分にとっては一番の苦痛でしょう。

 

誰よりも最も近い人、自分。

その自分と仲良くできないなんて、苦痛でしかありません。

密室で二人きりのその相手が、最もウマが合わない人だなんて。

 

 

自分の中にいろんな自分がいることを感じますか?

伸び伸びとくつろいでいる自分。

会社にいて、周りに合わせて取り繕っている自分。

家族といて、いいパパ、いいママ、いい子を演じている自分。

 

いろんなモードがあり、無意識のうちにそのモードを切り替えながら生きている。

しかし、意識をちゃんと持ってくると、仮面をつけた自分に気付く。

「ああ、演ってるな」と。

 

本当の自分でいることなんてできるのでしょうか。

どんな場面であっても、取り繕うことなく、ありありと本当の自分でいることなんて、できるのでしょうか。

 

もちろん、可能性としては可能ですね。

可能性としては、できる。

しかし相当難しい、と。

 

本来の自分はあまりにも社会生活にマッチしない。

叩かれる、否定される。とても無理。

だから仮面をかぶる。

自分を守るために。

 

自分を好きになれないっていうのは、仮面をつけた自分だからですね。

本当の自分ではないから。

偽物の自分に気持ち悪さを感じる。

演技がうまくいけばいくほど、空しさを感じる。

ありありと、自分のままでくつろげたら、どんなに幸せか。

何もいらない、それだけが欲しいとさえ思えます。

 

本当の自分であるとき、完全に自分と自分が一体です。

そこにはもう、好き嫌いも肯定も否定もありません。

主客一体ですから。

見る人と見られる人に分かれていません。

 

分かれていない。

好き嫌いを判断する相手がいないのです。

「一つ」ですから。

 

 

人は自分が嫌いではないのです。

自分を愛しているのです。

愛しているがゆえに、不当に扱われている自分が許せないのです。

愛しているがゆえに、「あなたはそんな人じゃないでしょう!」と、声を張り上げたくなるのです。

 

自分のことをどうでもいいと思っているなら、演技していようと何していようと、気にならないはず。

自分のことを誰よりも愛しているのです。

だから、自分が本当の自分でないことが許せないのです。

 

あなたは自分のことを諦められるか?

いや、死ぬまで諦められないですね。

あなたの深い愛は、自分を諦めるということを知らない。

必ず本来の自分を取り戻すまで、諦めるということはしない。

 

だから、やるしかないのです。

前に進むしかないのです。

自分への道のりを、一歩ずつ歩いていくしかないのです。

 

どんなに先延ばしにしても、その衝動は消えることはありません。

だから、やるしかないのです。

 

 

自己否定というものは、周りの環境によって形成されます。

周囲がなければ、自己否定という発想は、そもそもあり得ません。

何によって自分がダメだと知るのでしょうか?

それは周囲の反応です。

 

人は生まれた時は本来の自分です。

そして成長に従って、本来の自分ではダメだという場面に遭遇します。

そして矯正が入ります。

どんどん矯正が入り、そして大人になる頃には、周囲にとって問題のない人間に仕上がります。

それは本来の自分からはかけ離れた自分です。

 

そして自分への愛が、本来の自分への愛が、かけ離れてしまった自分を揺さぶります。

「あなたはそんな人じゃない」と。

そして今、戻ろうとしています。戻るタイミングに来ています。

 

一つずつ、矯正の輪っかを嵌めていったように、今度は一つづつ、矯正の輪っかを外していきます。

「それをしてもいい」と、自分に許可を出すのです。

本当の自分を、許してあげるのです。

 

食べ物は残してもいい、着たい服を着ていい、休みたいときに休んでいい。

緩めると、本来の自分が出やすくなります。

ですから緩んで、肩の力を抜いて、楽に呼吸して、「それでいい」ということを自分に許可していきます。

何をしても、何をしなくても、許してあげます。

何かをしたいというなら、なるべく叶えてあげる、何かをしたくないというなら、なるべく許してあげる。

今まで自分を締め上げていた輪っかを、徐々に外していくのです。

 

これはもう、やるしかないのです。

どんなに保留にしてても、本来の自分へ還ろうという動きは、消えることはありません。

死ぬまで消えることはありません。

もう、やるしかないのです。

 

何もしない自分を許しましょう。

何かをする自分を許しましょう。

自分への旅路を今日、スタートさせましょう。

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